た一つあったのである。それは当然死よりも愁《つら》くまた出来にくかったであろうが、正しい取るべき道は、最初倉持との恋愛が萌《きざ》した時に、潔《いさぎよ》く良人《おっと》に打明けるべきであった。夫妻の間に理解と、真の愛情があれば打明けられたと思う。それが出来ずとも、倉持との恋愛が、何物をも犠牲にするほど熾烈《しれつ》なものであったならば、当然伯爵家も伯爵夫人も最初から捨てなければならなかったのだ。そして倉持も極力その事を願わなければならないはずであった。すべてを有《あり》のままにしておいて、倉持を愛していたのならば、鎌子の情操を疑わなければならない。問題は唯この一点だ。
 けれども多く非難の的とされたのは、男女のどちらからが誘惑したかという事と、心中をすることをどちらから言出したかという事とであった。誘惑云々という事は、もの心のつかない童男童女の上ならば知らず、廿四歳の青年はそんなことを聞かれるのさえ侮辱だ。鎌子にしても、単に、男に誘惑されてああなったとすればあんまり単純すぎる。出来てしまってから結果を考えて、顫《ふる》えるような無智な女ではないであろう。そういう事になる前にこそ、死よりも切ない懊悩《おうのう》があったはずである。私はそうだと独りできめてしまうのではないが、どうもこの心中は倉持から言出したものというように思われてしかたがない。無論前にもいう通り二人の恋愛関係がはじめから誤った姑息《こそく》な手段で、糊塗《ごまか》していた事が、因をなしたには違いないが――

 その事についての道学者たちの争いもたいしたものであった。ある人は、
「死んでしまえばなんでもなかったのに」
といったり、彼女の母校であった学習院女学部の主事は、
「今までも他の学校よりは徳育に力を尽していたが、こんな出来ごとがあった以上、この後はなお一層その点を注意したい。ものも間違えば間違うものだ」
というような事を言ったりしたのは、家の自動車もやめてしまおうと、自分の最愛な細君へ警戒をしたという莫迦《ばか》らしさとおなじで、女流のなかでさすがに立派な意見だと頷《うなず》かれたのは、与謝野晶子《よさのあきこ》女史と平塚らいてう氏であった。山川菊栄《やまかわきくえ》女史はどういう風に見られたか、それは残念ながら私は見なかった。
 らいてう氏は、
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……それと同時にあらゆる階
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