こんなこととは、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんの兄さんの柳原伯が、わたくしの母をわざわざ横浜の手前の生麦《なまむぎ》まで訪《たず》ねられて、続稿を、やめさせてくれまいかと頼まれたのだった。箱入り一閑張りの、細長い柱かけの、瓢箪《ひょうたん》の花入れのお土産《みやげ》を取出して見せながら、母は言い憎そうにいうのだった。わたしは、そのふらふら[#「ふらふら」に傍点]瓢箪をみながら、止《や》めるとも止めないともいわないで、母のいうことだけきいていた。
「お困りだそうだから――」
わたしはただ笑った。ありとある新聞が、徹底的に書きつくしたのに、今になってと。だが、その、今になってが困るのかなと思った。だが、母の弱さにも嘆息《ためいき》した。母は合資《ごうし》の、倒れかけた紅葉館《こうようかん》を建て直して、儲《もう》けを新株にして、株式組織に固め、株主をよろこばせたうえで、追出《おいだ》された。年老いて、我家《わがや》も投《ほう》り出しておいて、故中沢彦吉さんに見出《みいだ》されたからと、意気に感じて、夜《よ》の目も眠《ね》ないで尽した誠実はみとめられずに、喧嘩《けんか》の
前へ
次へ
全33ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング