も愛敬《あいきょう》に、愛されて、幸福に、華《はな》やいだ生涯の来るのを待っていたが、花ならばこれから咲こうとする十六の年に、暗い運命の一歩にふみだした。ういういしい花嫁|君《ぎみ》の行く道には、祝いの花がまかれないで、呪《のろ》いの手が開《ひろ》げられていたのか、京都|下加茂《しもがも》の北小路家へ迎えられるとほどもなく、男の子一人を産んで帰った。その十六の年の日記こそ、涙の綴《つづ》りの書出しであった。

 芸術の神は嫉妬《しっと》深いものだという。涙に裂くパンの味を知らない幸福なものには窺《うかが》い知れない殿堂だという。
 だが、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんは明治四十四年の春、廿七歳のとき、伯爵母堂とともに別居していた麻布|笄町《こうがいちょう》の別邸から、福岡の炭鉱王伊藤伝右衛門氏にとつぐまで、別段文芸に関心はもっていられなかったようだった。竹柏園《ちくはくえん》に通われたこともあったようだったが、ぬきんでた詠があるとはきかなかった。しかし、その結婚から、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんという美しい女性の存在が世に知られて、物議をも醸《かも
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