がて妙諦《みょうてい》を得て、一切を公平に、偽りなく自叙伝に書かれたら、こんなものは入《い》らなくなる小記だ。
※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんは、故伯爵|前光卿《さきみつきょう》を父とし、柳原二位のお局《つぼね》を伯母《おば》として生れた、現伯爵貴族院議員柳原義光氏の妹で、生母は柳橋の芸妓だということを、ずっと後《のち》に知った女《ひと》だ。夜会ばやり、舞踏ばやりの鹿鳴館《ろくめいかん》時代、明治十八年に生れた。晩年こそ謹厳いやしくもされなかった大御所《おおごしょ》古稀庵《こきあん》老人でさえ、ダンス熱に夢中になって、山県の槍《やり》踊りの名さえ残した時代、上流の俊髦《しゅんぼう》前光卿は沐猴《もくこう》の冠《かん》したのは違う大宮人《おおみやびと》の、温雅優麗な貴公子を父として、昔ならば后《きさき》がねともなり得《う》る藤原氏の姫君に、歌人としての才能をもって生れてきた。
実家だと思っていたほど、可愛がられて育った、養家《さと》親の家《うち》は、品川の漁師だった。その家でのびのびと育って年頃のあまり違わない兄や、姉のある実家に取られてから、漁師言葉のあらくれたの
前へ
次へ
全33ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング