は、精神的の苦痛はあっても、いわゆる我儘な生活が出来たのだ。こんどは、精神的幸福はあっても、我儘な生活が出来るわけがないではないかといいたかった。ほんとの、生きた生活に直面するのに――生きた生活とは、そんな生優《なまやさ》しいものではない。

 長男|香織《かおり》さんは生れた。生れる子供の籍だけは、こちらへほしいとは伝右衛門氏の願いだった。柳原家で拒んだのだという。生れた子のことで、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんは姿をかくさなければならなかった。わたしは子供を離さずに転々していた※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんを、あんなに好いたことはなかった。昨日は下総《しもうさ》に、明日《あす》は京都の尼寺にと、行衛《ゆくえ》のさだまらないのを、はらはらして遠く見ていた。あとでの話では、かえってその時分は経済的に楽だったのだということで、何処かしらから物質は乏しくなく届いていた。愁《つら》かったのは宮崎家の人となってから、馴《な》れぬ上に、幼児は二人になり、竜介氏は喀血《かくけつ》がつづいて――ただ一人のたよりの人は喀血がつづく容体で――その時の心持ちはと、あると
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