こんなこととは、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子さんの兄さんの柳原伯が、わたくしの母をわざわざ横浜の手前の生麦《なまむぎ》まで訪《たず》ねられて、続稿を、やめさせてくれまいかと頼まれたのだった。箱入り一閑張りの、細長い柱かけの、瓢箪《ひょうたん》の花入れのお土産《みやげ》を取出して見せながら、母は言い憎そうにいうのだった。わたしは、そのふらふら[#「ふらふら」に傍点]瓢箪をみながら、止《や》めるとも止めないともいわないで、母のいうことだけきいていた。
「お困りだそうだから――」
わたしはただ笑った。ありとある新聞が、徹底的に書きつくしたのに、今になってと。だが、その、今になってが困るのかなと思った。だが、母の弱さにも嘆息《ためいき》した。母は合資《ごうし》の、倒れかけた紅葉館《こうようかん》を建て直して、儲《もう》けを新株にして、株式組織に固め、株主をよろこばせたうえで、追出《おいだ》された。年老いて、我家《わがや》も投《ほう》り出しておいて、故中沢彦吉さんに見出《みいだ》されたからと、意気に感じて、夜《よ》の目も眠《ね》ないで尽した誠実はみとめられずに、喧嘩《けんか》のように出されて、子たちがいる家にも足むけが出来ないと、死にもしかねない有様に、当時、草|茫々《ぼうぼう》とした、破《あば》ら家《や》を生麦に見つけだして、そこに連れて来てあげて、やっと心持ちを柔らげさせたのではなかったか。そのおり、利益のあったときには、長谷川さん長谷川さんとやさしくした株主のだれが、優しい言葉をかけたか? もとより、無智だった母の、法律的なことは知らずに、感情からのゆきちがいはあったとしても、権利、義務を主とした会社ではなく、酒と媚《こび》の附属する料理店で、お客であって株主でもある人たちは、一番やすく遊んで食べて、利益も得ている、その株主の一人で柳原さんもあったのだ。顔馴染《かおなじみ》を利用するのが、あんまり現金すぎるとも思い、引受けた母までが嫌《いや》だった。だからといって、それとこれを混じて、ものを書くような卑劣さを持つかとおもわれるより、そう思うほうが、よっぽど賤《いや》しいと思ったのだった。だが、原稿の続きは出なかったのだ。ガン張っても誌面は自分のものでないから、どうにもしようがなかったのだ。だから、つづきはわるいが、ここからは新しく書くことにする。
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