別府《べっぷ》には※[#「火+華」、第3水準1−87−62]《あき》さまの御別荘がおありですから、それはよろしう御座いますの。随分前から御一緒に行くお約束になっていて、やっと参りましたのよ。伊藤さんがお迎えながらいらっしゃるはずでしたところ、風邪《かぜ》をおひきになったって電報が来たものですから、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]さまは急いでお帰りになりましたの。だから残念でしたわ。」
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 語る人のあでやかな笑顔《えがお》。それよりも前に、わたしはかなり重く信用してよい人から、こういうふうにも聞いていた。
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白蓮さんは伝右衛門氏のことを、此方《このかた》が、此方がといわれるので、何となく御主人へ対して気の毒な気がして返事がしにくかった。それに、あの人の歌は、どこまでが芸術で、どこまでが生活なのか――あの生活が嫌《いや》なのだとはどうしても思われない。
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 手紙のことといい、武子さんの話の断片といい、この歌の評といい、突然なので、知らない読者には解しかねるであろうが、この間には、例の白蓮女史|失踪《しっそう》事件があり、彼女の生活の豪華であったことが、知らぬものもないというほどであり、和歌集『踏絵《ふみえ》』を出してから、その物語りめく美姫《びき》の情炎に、世人は魅せられていたからだ。
 この結婚は、無理だというのが公評になっていた。作品を通して眺めた夫人は、キリスト教徒のためされた、踏絵や、火刑よりも苦しい炮烙《ほうらく》の刑にいる。けれど試《ため》す人は、それほど惨虐な心を抱いているのではない。それどころか、宝として確《しっ》かりと握っていたのだとも思われる。冷たさにも、熱さにも、他の苦痛など、てんで考えている暇のない専有慾の満足と、自由を願うものとの葛藤《かっとう》だったのだ。もとより、いつも掴《つか》むものは強い力をもち、かよわいものが折り伏せられるのは恒《つね》だが――

       二

 ――これは前のつづきではない。前章は、大正十一年の二月に書いたのだが、その続きがどうしても見当らない、図書館にも幾度かいって探してもらったが、続きの載《の》ったはずの雑誌はあっても出ていない。そこで、よく考えてみたらば、こんなことがあったのを忘れて、続きが出たとばかり思っていたのだった。
 
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