代があるといった。富田屋八千代は菅《すが》画伯の良妻となり、一万円とよばれた赤坂春本の万竜も淑雅《しゅくが》な学士夫人となっている。祇園の歌蝶は憲政芸妓として知られ、選挙違反ですこしの間|罪《つみ》せられ、禅門に参堂し、富菊は本願寺|句仏上人《くぶつしょうにん》を得度《とくど》して美女の名が高い。
芳町《よしちょう》の奴《やっこ》と嬌名《きょうめい》高かった妓は、川上音次郎《かわかみおとじろう》の妻となって、新女優の始祖マダム貞奴《さだやっこ》として、我国でよりも欧米各国にその名を喧伝《けんでん》された。いまは福沢桃介《ふくざわももすけ》氏の後援を得て名古屋に綿糸工場を持ち、女社長として東京にも名古屋にも堂々たる邸宅を控え、日常のおこないは工場を監督にゆくのと毛糸編物とを専らにしている。貞奴の後に、彼地で日本女性の名声を芸壇にひびかしているのは歌劇《オペラ》の柴田環《しばたたまき》女史であろう。この人々は日本を遠く去ってその名声を高めたが、海外へは終《つい》に出なかったが、新女優の第一人者として松井須磨子《まついすまこ》のあった事も特筆しなければなるまい。彼女は恩師であり情人であった
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