化された彼女らの面影は、永劫《えいごう》にわたって人間生活に夢と詩とを寄与《きよ》している。
小さき夢想家であり、美の探求者《たんきゅうしゃ》であるわたしは、古今の美女のおもばせを慕ってもろもろの書史《ふみ》から、語草《かたりぐさ》から、途上の邂逅《かいこう》からまで、かずかずの女人をさがしいだし、その女《ひと》たちの生涯の片影《へんえい》を記《しる》しとどめ、折にふれて世の人に、紹介することを忘れなかった。美しき彼女たちの(小伝)は幾つかの巻となって世の中に読まれている。
そしてわたしの美女に対する細《こま》かしい観賞、きりきざんだ小論はそうした書にしるしておいた。ここには総論的な観方《みかた》で現代女性を生んだ母の「明治美人」を記して見よう。
それに先だって、わたしは此処《ここ》にすこしばかり、現代女性の美の特質を幾分書いて見なければならない。それはあまりに急激に、世の中の美人観が変ったからである。古来、各時期に、特殊な美人型があるのはいうまでもないが、「現代は驚異である」とある人がいったように、美人に対してもまたそういうことがいえる。
現代では度外《どはず》れということ
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