島村抱月《しまむらほうげつ》氏に死別して後、はじめて生と愛の尊さを知り、カルメンに扮した四日目の夜に縊《くび》れ死んだのであった。
それにくらべれば魔術師の天勝《てんかつ》は、さびしいかな天勝といいたい。彼女はいつまでも妖艶に、いつまでもおなじような事を繰返している。彼女の悲哀は彼女のみが知るであろう。
豊竹呂昇《とよたけろしょう》、竹本綾之助《たけもとあやのすけ》の二人は、呂昇の全盛はあとで、綾之助は早かった。ゆくとして可ならざるなき才女として江木欣々《えぎきんきん》夫人の名がやや忘られかけると、おなじく博士夫人で大阪の高安やす子夫人の名が伝えられ、蛇夫人とよばれた日向きん子女史は、あまりに持合わせた才のために、かえって行く道に迷っていられたようであったが、林きん子として、舞踊家となった。
九条武子、伊藤※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子《いとうあきこ》は、大正の美人伝へおくらなければなるまい。書洩《かきもら》してならない人に、樋口一葉女史、田沢稲舟《たざわいなぶね》女史、大塚楠緒子《おおつかなおこ》女史があるが余り長くなるから後日に譲ろうと思う。
[#地から2字上げ]――大正十年十月『解放』明治文化の研究特別号所載――
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附記 樋口一葉女史・大塚楠緒子女史・富田屋八千代・歌蝶・豊竹呂昇は病死し、田沢稲舟女史は毒薬を服し、松井須磨子・江木欣々夫人は縊《くび》れて死に、今や空し。
[#ここで字下げ終わり]
底本:「新編 近代美人伝(上)」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年11月18日第1刷発行
1993(平成5)年8月18日第4刷発行
底本の親本:「近代美人伝」サイレン社
1936(昭和11)年2月発行
初出:「解放 明治文化の研究特別号」
1921(大正10)年10月
入力:門田裕志
校正:川山隆
2007年9月5日作成
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