ンドをイルミネーションのように飾りたてて、幾十万円かの資産を有していたというに、あわれにも公爵家は百余万円の浪費のために、公爵母堂は実家へ引きとられなければならないというほどになり、館《やかた》は鬼の高利貸の手に処分されるようになり、若くて有為《ゆうい》の身を、笹屋の二階の老隠居と具張氏はなってしまった。桃吉が資産家になり、権力が加《くわわ》ってゆくと共に、今は爵位を子息にゆずって、無位無官の身となった具張氏は居愁《いづら》い身となってしまった。やがて二人の間に破滅の末の日が来て、具張氏は寂しい姿で、桜子夫人の許《もと》にと帰っていった。ささやの三階から立ち出た人には、あまり天日《てんぴ》が赫々《かくかく》とあからさますぎた事であろう。九尾《きゅうび》の狐《きつね》玉藻《たまも》の前《まえ》が飛去ったあとのような、空虚な、浅間しさ、世の中が急に明るすぎるように思われたでもあろう。その桃吉は甲州に生れ、旅役者の子だというが、養われたさきは日本橋の魚河岸だったという事である。
 ぽんたは貞節の名高く、当時大阪の人にいわせると、日本には、富士山と、鴈次郎《がんじろう》(大阪俳優中村)と、八千代があるといった。富田屋八千代は菅《すが》画伯の良妻となり、一万円とよばれた赤坂春本の万竜も淑雅《しゅくが》な学士夫人となっている。祇園の歌蝶は憲政芸妓として知られ、選挙違反ですこしの間|罪《つみ》せられ、禅門に参堂し、富菊は本願寺|句仏上人《くぶつしょうにん》を得度《とくど》して美女の名が高い。
 芳町《よしちょう》の奴《やっこ》と嬌名《きょうめい》高かった妓は、川上音次郎《かわかみおとじろう》の妻となって、新女優の始祖マダム貞奴《さだやっこ》として、我国でよりも欧米各国にその名を喧伝《けんでん》された。いまは福沢桃介《ふくざわももすけ》氏の後援を得て名古屋に綿糸工場を持ち、女社長として東京にも名古屋にも堂々たる邸宅を控え、日常のおこないは工場を監督にゆくのと毛糸編物とを専らにしている。貞奴の後に、彼地で日本女性の名声を芸壇にひびかしているのは歌劇《オペラ》の柴田環《しばたたまき》女史であろう。この人々は日本を遠く去ってその名声を高めたが、海外へは終《つい》に出なかったが、新女優の第一人者として松井須磨子《まついすまこ》のあった事も特筆しなければなるまい。彼女は恩師であり情人であった
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