や、突飛《とっぴ》ということが辞典から取消されて、どんなこともあたり前のこととなってしまった。実に「驚異」横行の時代であり、爆発の時代である。各自の心のうちには、空さえ飛び得るという自信をもちもする。まして最近、檻《おり》を蹴破り、桎梏《しっこく》をかなぐりすてた女性は、当然ある昂《たか》ぶりを胸に抱く、そこで古い意味の(調和)古い意味の(諧音)それらの一切は考えなくともよいとされ、現代の女性は(不調和)のうちに調和を示し、音楽を夾雑音のうちに聴くことを得意とする。女性の胸に燃えつつある自由思想は、各階級を通じて(化粧)(服装)(装身)という方面の伝統を蹴り去り、外形的に(破壊)と(解放)とを宣言した。調《ととの》わない複雑、出来そくなった変化、メチャメチャな混乱――いかにも時代にふさわしい異色を示している。
時代精神の中枢は自由である。束縛は敵であり跳躍は味方である。各自の気分によって女性は、おつくりをしだした。美の形式はあらゆる種類のものが認識される。
黒狐の毛皮の、剥製標本《はくせいひょうほん》のような獣の顔が紋服の上にあっても、その不調和を何人《なんぴと》も怪しまない。十年前、メエテルリンク夫人の豹《ひょう》の外套《がいとう》は、仏蘭西《フランス》においても、亜米利加《アメリカ》においても珍重されたといわれるが、現代の日本においては、気分的想像の上ですでにそんなものをば通り越してしまっている。
その奔放な心持ちは、いまや、行きつくところを知らずに混沌《こんとん》としている。けれども、この思い切った突飛《とっぴ》の時代粧をわたしは愛し尊敬する。なぜならば進化はいつも混沌をへなければならないし、改革の第一歩は勇気に根ざすほかはない。いかに馴化《じゅんか》された美でも、古くなり気が抜けては、生気に充ちみちた時代の気分と合わなくなってしまう。混沌たる中から新様式の美の発見をしなければならない。そこに新日本の女性美が表現されるのであるから――
なごやかな、そして湿《しめ》やかな、噛《か》みしめた味をよろこぶ追懐的情緒は、かなり急進論者のように見えるわたしを、また時代とは逆行させもするが、過激な生活は動的の美を欲求させ、現代の女性美は現代の美の標準の方向を表示しているともいえるし、現代の人間が一般的に、どんな生き方を欲しているかという問題をも、痛切に表現してい
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