情《ふぜい》をも残し、武家|跋扈《ばっこ》より来る、女性の、深き執着と、諦《あき》らめをふくんでいる。徳川期に至って目に立つのは、美女が平民に多く見出《みいだ》されることである。これは幕府が大名の奥方、姫君などを籠《かご》の鳥同様、人質《ひとじち》として丸の内|上屋敷《かみやしき》に檻禁《かんきん》させていたので、美しき女の伝もつたわらぬのでもあれば、時を得て下層の女の気焔《きえん》が高まったのでもあろう。湯女《ゆな》、遊女、水茶屋の女たちは顔が売ものである。そのなかで、上代にはあれほど手練のあった貴婦人たちが、干菓子のように乾《ひ》からびた教育を、女庭訓《おんなていきん》とするようになってから、彼女たちに代ったものはなんであったか、大名たちの下《しも》屋敷や国許《くにもと》における妾《めかけ》狂いは別として、自由なる社交場として吉原《よしわら》や島原の廓《くるわ》が全盛になった。機を見るにさかしい者たちは、遊女らの扮粧《ふんそう》を上流の美女に似せ、それよりも放逸で、派手やかであり、淫蕩《いんとう》な裲襠姿《しかけすがた》をつくりだし、その上に教養もくわえた。で、高名な浮世絵師えがく
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