晒悟助《のざらしごすけ》のやうに、大概なのは氣がよければ金に缺けてゐる。男伊達が起つてきてからの社會では金がなければ、中々道理もひつこむ世の中なのだから、勢ひ、講談などできいても惡い親分が多い。斬《き》ツつ、張《は》ツつも、正義や弱いものを助けるためのはすくなくて、繩張りの勢力爭ひで、弱者がほろびてゆく。
「文藝春秋」できかれた「姐御《あねご》ぶり」といふものは、勢ひさうした見方からいつて、およそ、わたしのきらひなものだ。姐御とは、さうした輩《ともがら》の細君を敬稱したものかと思ふ。親分の顏のよしあしも、一つは、細君の子分操縱法――つまり臺所まかなひ、小遣ひ錢、仕着せの心附けなどの附け屆けの氣の利きかたで、だいぶ違ふのだらうと思ふ。で、以前役者の女房にそれ者《しや》が必要だつたごとく、姐御てあいもなかなか、粹もあまいも噛みわけた苦勞人でなければおさまらなかつただらうし、男まさりの氣強い女《もの》でなければ、無考へな、血の氣の多い、若い衆を操御し、ある折は親分とも夫婦喧嘩もしなければならなかつたであらうから、勢ひ、むかうつ氣の強い女でなければならない。鐵火《てつくわ》にならざるを得ない。
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