凡愚姐御考
長谷川時雨

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)撓《た》めた

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)奴|氣質《かたぎ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)パリ/\
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 義理人情の美風といふものも歌舞伎芝居の二番目ものなどで見る親分子分の關係などでは、歪んだ――撓《た》めた窮屈なもので、無條件では好いものだといひかねる。立てなくつてもいい義理に、無理から無理を生ませてゐる。人情にしてもまことに低級卑俗だ。大局とか、大義とか、さういふものには眞つくらで、ただ、ただ親分のためとか、顏が立たぬとかでもちきつてゐる。しかも、その親分、いかさまでない實力と、金のはいるのは昔から曉天《ぎやうてん》の星のやうで、花川戸《はなかはど》の長兵衞をはじめさうした人たちは、人間としても一人物であり條理もわかりさうだが、そのほか、野晒悟助《のざらしごすけ》のやうに、大概なのは氣がよければ金に缺けてゐる。男伊達が起つてきてからの社會では金がなければ、中々道理もひつこむ世の中なのだから、勢ひ、講談などできいても惡い親分が多い。斬《き》ツつ、張《は》ツつも、正義や弱いものを助けるためのはすくなくて、繩張りの勢力爭ひで、弱者がほろびてゆく。
「文藝春秋」できかれた「姐御《あねご》ぶり」といふものは、勢ひさうした見方からいつて、およそ、わたしのきらひなものだ。姐御とは、さうした輩《ともがら》の細君を敬稱したものかと思ふ。親分の顏のよしあしも、一つは、細君の子分操縱法――つまり臺所まかなひ、小遣ひ錢、仕着せの心附けなどの附け屆けの氣の利きかたで、だいぶ違ふのだらうと思ふ。で、以前役者の女房にそれ者《しや》が必要だつたごとく、姐御てあいもなかなか、粹もあまいも噛みわけた苦勞人でなければおさまらなかつただらうし、男まさりの氣強い女《もの》でなければ、無考へな、血の氣の多い、若い衆を操御し、ある折は親分とも夫婦喧嘩もしなければならなかつたであらうから、勢ひ、むかうつ氣の強い女でなければならない。鐵火《てつくわ》にならざるを得ない。
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