政権を求め、婦人もまた一個の人間としての扱いを要求し、めざましい御活動で、各地を遊歴なさいましたその折にも、例の京童《きょうわらんべ》は、あなたのあれが商売だともうしました。商売とは、昔者《むかしもの》の言葉でいえば、世渡りの綱で、心にもない事も言って生活の代《しろ》を得る――というふうに、そうした言葉で、その折にもそうした意味に用いられました。
 わたくしはかなりの憤おりを感じました。親譲りの財産でもないかぎり、また有《あり》あまった収入の道があって体が暇な人がするお道楽なら知らず、食べないで働けるものではありません。昔の高僧とよばれる人でさえ、人間を救いながら喜捨《きしゃ》はうけていました。与えられた食物を糧《かて》にして救いました。それがすこしも賤しい事でも何でもありません、立派な生活です。一本の敷島《しきしま》を煙にしてもそれだけの失費があり、自分の足で歩くのだといばっても、跣足《はだし》ではあるけない世の中に衣食するものが、得るものがなくてなんで過してゆけましょう。ましてその人は、洋画家の収入の僅少《きんしょう》なのを知っているのです。それに幼少な子たちさえおありになるあなた
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