お書《かき》になった日記の中で、読んだことがあります。みじかい文のなかに、あなたという方がくっきりと浮いて見えたのをおぼえております。見つけだしましたから書いて見ましょう。
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十一月廿四日、夕方平塚さんが見える。今日は黒い眼鏡がないので顔の上から受ける感じが明るい。話をしている間に深味のある張《はり》をもった眼が幾度も涙でいっぱいになる。この人を見ると、身体じゅうが熱に燃えている、手をふれたら焦げただらされそうな感じがするでしょう、とある人のいった事を思いだす。厚い口尻に深い窪《くぼ》みを刻みつけて、真っ白な象牙《ぞうげ》のような腕を袖口から出しながら、手を顎《あご》のあたりまで持っていって笑うとき、ちょっと引き入れられる。私はこの人の声も好きだ。
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わたくしはあなたのお顔を、天平《てんぴょう》時代の豊頬《ほうきょう》な、輪廓のただしい美に、近代的知識と、情熱に輝き燃《もえ》る瞳《ひとみ》を入れたようだとつねにもうしておりました。
らいてうさま、
あなたが濡《ぬ》れそぼちて、音楽会の切符を持ち廻られたり、劇場と特約した切符を売ったり、なれない場処で、芝居の座席の割りつけに苦心してお出でなさるのを見るのはお気の毒のようにさえ思いおりました。くれぐれも只今の御生活を、お身体《からだ》の滋養となさって、御休養を切に祈ります。これからの激しい世波《よなみ》を乗り越すには、気力も、体力も、智力の下に見る事は出来まいと思います。御自愛なさいまし、らいてうさま。
[#地から1字上げ]――大正十二年七月――
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附記 明治四十四年十月、平塚らいてう(明子)さんによって『青鞜』が生れたのは、劃期的な――女性|覚醒《かくせい》の黎明《れいめい》の暁鐘であった。このブリュー・ストッキングを標榜《ひょうぼう》した新人の一団は、女性|擾頭《たいとう》の導火線となったのだった。
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『青鞜』創刊の辞に、
原始、女性は太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依《よ》って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白《あおじろ》い顔の月である。
さてここに『青鞜』は初声《うぶごえ》を上げた。
現代の日本の女性の頭脳と手によって始めて出来た『青鞜』は初声を上げた。
女性のなすことは今はただ嘲《あざけ》りの笑を招くばかりである。
私はよく知っている、嘲りの下に隠れた或ものを。
そして私は恐れない。
(中略)
――私どもは隠されたる我が太陽を今や取戻さねばならぬ。
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わたくしは新らしい女である。わたくしは太陽であると、らいてうさんは叫んだ。
「新らしい女」という名が、讃美、感嘆、中傷、侮辱、揶揄《やゆ》と入り交って、最初は青鞜社員から社友に、それからは一般の進歩的婦人の上にふりそそがれた。
『青鞜』は最初、社会的に全然地位も自由ももたない婦人たちが、文芸を通じて心の世界に自由を求め、そこに自分の生命を見出そうと、中野初子《なかのはつこ》(日本女子大学国文科出身)木内錠子《きうちていこ》(同)保持研子《やすもちよしこ》(同)物集和子《もずめかずこ》(夏目漱石門人・物集博士令嬢)平塚明子《ひらつかはるこ》(日本女子大学家政科出身)の五人の発起だった。
この人たちの勇気と決心は、婦人解放運動の炬火《きょか》となったのだ。
『青鞜』の編輯は、最終のころは、伊藤野枝さんにかわっていた。野枝さんは後に大杉栄《おおすぎさかえ》氏夫人となって、震災のおり×されてしまった。
この附記は、らいてうさんの出発点をよく知らぬ人のために、蛇足《だそく》かもしれぬが記《しる》しておく。
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底本:「新編 近代美人伝(上)」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年11月18日第1刷発行
1993(平成5)年8月18日第4刷発行
底本の親本:「近代美人伝」サイレン社
1936(昭和11)年2月発行
初出:「婦人画報」
1922(大正11)年9月
※編集部の付けた註は除きました。
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2007年4月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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