ゆる人の、口の端《は》におかかりでした。けれど、皆《み》んな、やっぱりその内心は、今様仙人とおなじ型だったのです。
 あなたはほんとによくお働きでした。あれではとてもたまりません、『青鞜《せいとう》』時代――「新婦人協会」時代――その間に御自分だけの生活としても、かなり複雑な――あなたの恋愛、母親となったあなた、それは一つひとつにはなすことの出来ない、あなたの思想と密接な関係のあったものとはいえ、時代にさきだって事にあたったあなたには、どの一つでも勇気と自信のいることでした。あなたのなさった事がみんな無意味でなく、空論ではありませんでした。
 もともと仙人とは空気を食べてたふうのものでしょうから、今様仙人が空論を吐くのは、ゆるすとして、その他の人が口だけで、とやかく蔑《さげ》すむのを憎みます。このごろ、あなたが衝《しょう》にあたってお出《いで》でないという事が、新婦人協会の内部《うちわ》もめをおこしたというのを聞き、今更と思う思いがいたしました。

       四

 らいてうさま、
 昨年、一昨年、一般社会に普選ということが問題とされ喧《かま》びすしかったおり、あなたもまた、婦人参政権を求め、婦人もまた一個の人間としての扱いを要求し、めざましい御活動で、各地を遊歴なさいましたその折にも、例の京童《きょうわらんべ》は、あなたのあれが商売だともうしました。商売とは、昔者《むかしもの》の言葉でいえば、世渡りの綱で、心にもない事も言って生活の代《しろ》を得る――というふうに、そうした言葉で、その折にもそうした意味に用いられました。
 わたくしはかなりの憤おりを感じました。親譲りの財産でもないかぎり、また有《あり》あまった収入の道があって体が暇な人がするお道楽なら知らず、食べないで働けるものではありません。昔の高僧とよばれる人でさえ、人間を救いながら喜捨《きしゃ》はうけていました。与えられた食物を糧《かて》にして救いました。それがすこしも賤しい事でも何でもありません、立派な生活です。一本の敷島《しきしま》を煙にしてもそれだけの失費があり、自分の足で歩くのだといばっても、跣足《はだし》ではあるけない世の中に衣食するものが、得るものがなくてなんで過してゆけましょう。ましてその人は、洋画家の収入の僅少《きんしょう》なのを知っているのです。それに幼少な子たちさえおありになるあなた
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