をよく知らないで嫌いだといって、あなたの事といえばよく聞きもしないで悪くキメつけるお爺《じい》さんが御座います、紅蓮洞《ぐれんどう》という人です。その実その人は、決してあなたが嫌いなのではないので御座います。その人として嫌いなはずがないので御座います。奇人ゆえ、ふとした事から嫌いにしてしまうと、もう取返しがつかなくなって、しつこいほど意地わるく悪口をするので御座います。けれどわたくしはその人がひそかにあなたには敬意をもっていることを知っています。奇人にはちがいありませんが、洒脱《しゃだつ》、飄逸《ひょういつ》なところのない今様《いまよう》仙人ゆえ、讃美する的《まと》が外《はず》れて、妙に反《そ》ぐれてしまったのだと思います。そのくせその人が好意を示しているもので、あんまり感心した女はないのです。そして好意を持ちながら侮蔑《ぶべつ》しきっているのです。
 それとは事かわりますが、世の中には、誉《ほ》めたいのだが、他人があんまり感心するから嫌だといったふうな旋毛曲《つむじまが》りがかなりにあります。口に新時代の女性を謳歌《おうか》しながら、趣味としては、義太夫節などにある、身を売って夫を養う妻を理想として矛盾を感じない男もあります。
 近代生活思潮に刺戟《しげき》をうけながらも、その不安をごまかして、与えられる物質だけに満足して、倦《もの》うい日々をおくるのを、高等な生活のように思いこんだ婦人たちは、あなたが新しい女と目されて、社会の耳目を※[#「奇+支」、第4水準2−13−65]《そば》だたせたおりに――無気力無抵抗につくりあげられた因習の殻《から》を切り裂いて、多くの女性を桎梏《しっこく》の檻《おり》から引出そうとしたけなげなあなたを、男が悪口する以上な憎悪《ぞうお》の目をもって眺めさげすみました。知識階級にある男たちまでが好《い》い気になってあなたの恋愛――他人に何らの容喙《ようかい》をも許されないことにまで立入って、はずかしげもなくあげつらい得々《とくとく》としていました。しかしそれは日本人の癖で、ちょっと他の者が答えかねる事を――賤《いや》しさを、口にするのが、妙な風に感心させようとする手段で、他をはずかしめると共に自らを低くする事に平気なのです。無神経なのです。それをまた得々として雷同するものが多いのは情《なさけ》ないことです。
 あなたはそうした意味であら
前へ 次へ
全8ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング