いません。あかず行く雲のはてを眺め、野川の細流《せせらぎ》のむせぶ音を聞き、すこしばかりの森や林に、風の叫びをしり、草の戦《そよ》ぎに、時の動きゆく姿を見ることが望みでございます。むさしのに生れて、むさしのを知らぬあこがれが、わたくしの血の底を流れているのでございましょう。
いま、わたくしの目の前、小さな窓も青葉で一ぱいで御座います。思いは遠く走って、那須野の、一望に青んだ畑や、目路《めじ》のはての、村落をかこむ森の色を思いうかべます。御住居《おすまい》は、夏の風が青く吹き通していることと思います。白い細かい花がこぼれておりましょう。うつ木《ぎ》、こてまり、もち、野茨《のいばら》――栗の葉も白い葉裏をひるがえしておりましょう。塩原へ行く道を通っただけの記憶でも、那須は栗の沢山あるところだと思いました。小さな、一尺二、三寸の木の丈《たけ》で、ほんの芽|生《ば》えなのに青い栗毬《いが》をつけていたことを思い出します。
昨夜は、もう入梅であろうに十五日の月影が、まどかに、白々と澄んでおりました。夏の月影の親しみぶかさ――そんなことを思いながら眺めておりました。そちらの月の夜は、夜鳥《よどり》もさぞ鳴きすぎることでございましょう。月明《つきあかり》に、夜空に流れる雲のたたずまいもさぞ眺められることで御座いましょう。そして静寂な中に、ともしびをかこんで、お子様がたのおだやかな寝息に頭をまわしながら、静かに、あなたがたは何をお読みになっていらっしゃるか、何をお思いになってお出《いで》であろうか、または、何についてお談話《はなし》をなされてであったろうかと、ふと何ともいえぬ懐《なつか》しみが湧《わ》き上りました。
らいてうさま、あなたのお健康《からだ》は、都門《ともん》を離れたお住居《すまい》を、よぎなくしたでございましょうが、激しい御理想に対してその欲求《おのぞみ》が、時折何ものも焼尽《やきつく》す火のように燃え上るおりがございましょう。けれどもまた、長い御一生に――あなたばかりでなく、お子様がたにも――おだやかな、滋味のしたたるような今の御生活が、しみじみと思い出されるおりがあろうと思いますと、只今《ただいま》の楽しいお団欒《まどい》が、尽きない尽きない、幸福の泉の壺《つぼ》であるようにと祈られます。
三
らいてうさま、
時折来訪される人で、あなた
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