。十一月の三日ごろから逆上《のぼせ》のために耳が遠くなってしまった。そして二十三日午前に逝去《せいきょ》した。かつて知人の死去のおりに持参する香奠《こうでん》がないとて、
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我こそは達磨《だるま》大師になりにけれとぶらはんにもあしなしにして
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といい、また他行のため洗張《あらいは》りさせし衣を縫うに、はぎものに午前だけかかり、下まえのえり五つ、袖《そで》に二つはぐとて、
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宮城《みやぎ》のにあらぬものからから衣なども木萩《こはぎ》のしげきなるらん
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と恬然《てんぜん》と一笑した人の墓石は、現今も築地《つきじ》本願寺の墓地にある。その石の墓よりも永久に残るのは、短い五年間に書残していった千古不滅の、あの名作名篇の幾つかである。
[#地から2字上げ]――大正七年六月――


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昭和十年末日附記 随筆集『筆のまに/\』は、佐佐木|竹柏園《ちくはくえん》先生御夫妻の共著だが、その一二五頁「思ひ出づるまに/\」大正七年六月の一節に「自分がいつか夏目漱石さんの所へ遊びに行って昔話などをした時、夏目さんが、自分の父と一葉さんの父とは親しい間柄で、一葉さんは幼い時に兄の許嫁《いいなずけ》のようになっていた事もあったと言われた。明治の二大文豪の間に、さる因縁があったとは面白いことである」とあった。
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底本:「新編 近代美人伝(上)」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年11月18日第1刷発行
   2001(平成13)年7月9日第5刷発行
底本の親本:「近代美人伝」サイレン社
   1936(昭和11)年発行
初出:「婦人画報」
   1918(大正7)年6〜8、10月
入力:小林繁雄
校正:門田裕志
2006年1月21日作成
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