書残してはならない。
 ――夕刻より着類《きるい》三口持ちて本郷いせ屋にゆき、四円五十銭を得、紙類を少し仕入れ、他のものを二円ばかり仕入れたとある。
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今宵はじめて荷をせをふ、中々に重きものなり。
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ともいい、日々の売上げ廿八、九銭よりよくて三十九銭と帳をつけ、五厘六厘の客ゆえ、百人あまりもくるため大多忙だと記《しる》したのを見れば、
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なみ風のありもあらずも何かせん
     一葉《ひとは》のふねのうきよなりけり
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と感慨無量であった面影が彷彿《ほうふつ》と浮かんでくる。

       三

 廿七年二月のある日の午後に、本郷区|真砂町《まさごちょう》卅二番地の、あぶみ坂上の、下宿屋の横を曲ったのは彼女であった。その路は馴染《なじみ》のある土地であった。菊坂《きくざか》の旧居は近かった。けれども其処を歩いていたのは、謹厳深《つつしみぶか》い胸に問いつ答えつして、様々に思い悩んだ末に、天啓顕真術会本部を訪れようとしていたのであった。
 黒塀《くろべい》の、欅《けやき》の植込みのある、小道を入っ
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