》されたと知ろうか。彼女の家から灯が暁近くなるまで洩《も》れるのは、彼女の創作のためばかりではなかった。あの、筆をもてば、倏忽《たちどころ》に想をのせて走る貴《とうと》い指さきは、一寸の針をつまんで他家の新春の晴着《はれぎ》を裁縫するのであった。半日に一枚の浴衣《ゆかた》を縫いあげるのはさして苦でもなかったらしいが、創作の気分の漲《みなぎ》ってくるおりでも、米の代、小遣《こづか》い銭のために齷齪《あくせく》と針をはこばなくてはならなかったことを想像すると、わびしさに胸が一ぱいになる。明治廿五年の正月には、元日ですら夜まで国子氏と仕立物をしていたという事を日記が語っている。
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国子当時|蝉表《せみおもて》職中一の手利《てきき》に成《なり》たりと風説あり今宵《こよい》は例より、酒|甘《うま》しとて母君大いに酔《よい》給ひぬ。
――片町といふ所の八百屋《やおや》の新|芋《いも》のあかきがみえしかば土産にせんとて少しかふ、道をいそげばしとど汗に成りて目にも口にもながれいるをはんけちもておしぬぐひ/\して――
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とあるのにもその生活の一片が見られる。
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