とある。その後の章には、
[#ここから2字下げ]
小仏《こぼとけ》の峠もほどなく越ゆれば、上野原、つる川、野田尻、犬目、鳥沢も過ぎて猿《さる》はし近くにその夜は宿るべし、巴峡《はきょう》のさけびは聞えぬまでも、笛吹川の響きに夢むすび憂《う》く、これにも腸《はらわた》はたたるべき声あり勝沼よりの端書《はがき》一度とゞきて四日目にぞ七里《ななさと》の消印ある封状二つ……かくて大藤村の人になりぬ。
[#ここで字下げ終わり]
と故郷の山野の景色がかなり細叙してある。

 父則義氏は廿二年ごろに世を去られた。それからの女史の生活は流転をきわめている。陶工であった兄の虎之助氏は早くから別に一家をなしていたので、女史は母滝子と、妹の国子と、疲細《かぼそ》い女三人の手で、その日の煙りを立てなければならなかった。廿四年廿歳の時から廿九年までの六年間が製作の時代であった。
 生活の流転は、その感想、随筆、日記、が明《あか》らさまに語っている。女史の幼時にも彼女の家は転々した。本郷に移り下谷に移り、下谷|御徒町《おかちまち》へ移り、芝|高輪《たかなわ》へ移り、神田《かんだ》神保町《じんぼうちょう》に行き
前へ 次へ
全52ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング