》美人にしてしまうのかと、審《いぶか》しまれもしようが、私が作物を通して知っている一葉女史は、たしかに美人というのを憚《はばか》らぬと思う自信がある。写真でも知れるが、あの目のあの輝き、それだけでも私は美人の資格は立派にあるといいたい。脂粉に彩《いろ》どられた傾国《けいこく》の美こそなかったかも知れないが、美の価値を、自分の目の好悪《こうお》によって定める、男の鑑賞眼は、時によって狂いがないとはいえない。あまりお化粧もしなかったらしい上に、余裕のある家庭ではなし、ことに、
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――なまめかしいという感じを与える婦人ではなかった、艶《つや》はない、如何《いか》にもクスんだ所のある人であった、娘というよりは奥さんといいたいような人であった。当時の普通一般の女を離れて、男性の方に一歩変化しかけたように感ぜられる婦人であった。挙止《きょし》は如何にもしとやかであった。言葉はいかにも上品であった。何処に女らしくないというところは挙《あ》げ得られないにかかわらず、何処となく女離れがしているように感ぜられた。多分は一葉君の気魄《きはく》の人を圧するようなところがあったからであろう。要するに、共に語って痛快な婦人の一人であったろう。男が恋うることなしに親しく交わりえられる婦人の一人だと私は思っていた。 ――馬場氏記――
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とあるのから見ても、そうした婦人《ひと》で、並々の容色と見えれば、厚化粧で人目を眩惑《げんわく》させる美女よりも、確かであるということが出来ようかと思われる。
その上に、もし一度《ひとたび》興起り、想|漲《みなぎ》り来《きた》って、無我の境に筆をとる時の、瞳《ひとみ》は輝き、青白い頬《ほお》に紅潮のぼれば、それこそ他の模倣をゆるさない。引緊《ひきしま》った面に、物を探る額の曇り、キと結んだ紅い唇《くちびる》、懊悩《おうのう》と、勇躍とを混じた表情の、閃《ひらめ》きを思えば、類型の美人ということが出来よう。
誰に聞いても髪の毛は薄かったという事である。背柄《せがら》は中位であったという。受け答えのよい人で話|上手《じょうず》で、あったとも聞いた。話込んでくると頬に血がのぼってくる、それにしたがって話もはずむ。冷嘲《れいちょう》な調子のおりがことに面白かったとかいう。礼儀ただしいので躯《からだ》をこごめて坐っているが、退
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