、一つとして同じ性格には書いてないが、その底の底を流れて、隠しても隠しきれない拗《す》ねた気質は、日記から読みとった作者の、どこか打解けにくいところのある、寂しい諦めと、我執《がしゅう》を見|逃《のが》されない。
私は一葉女史の作中の人物をかりて、女史に似通っている点をあげて見たいと思った。も一つは、どの作が作者の気に入っていた作か知りたいと思った。それよりも深く知りたいのは、どの作のどの女性が、最も深く作者の同情を得、共鳴のあるものかということであった。最も高く評価されたのは「濁り江」のお力、「十三夜」のお関、「たけくらべ」のみどりであったが、すべての女主人公を一固めにして、そして太く出た線こそ、女史の持っているほんとうの魂だという事が出来るであろう。
「経づくえ」は小説としては「にごり江」や「たけくらべ」に競《くら》べようもない、その他の諸作よりも決して勝《すぐ》れてはいない。その構想も『源氏物語』の若紫を今様《いまよう》にして、あの華《はな》やぎを見せずに男を死なせ、遠く離れたのちに、男が死んだあとで、十六の娘がその人の情《なさけ》を恋うという、結末を皮肉にした短いものである。けれども、その少女お園の心持ちは、内気な少女《おとめ》には、よく頷《うなず》かれもし、残りなく書尽《かきつく》されてもいる。我と我身が怨《うら》めしいというような悩みと、時機を一度失えば、もう取返しのつかない、身悶《みもだ》えをしても及ばないくいちがいが、穏かに、寸分の透《すき》もなく、傍目《わきめ》もふらせぬようにぴったりと、悔《くい》というかたちもないものの中へ押込めてしまって、長い一生を、凝《じ》っと、消《きえ》てしまった故人の、恋心の中へと突《つき》進めてゆかせようとするのを、私は何とも形容することの出来ない、涙と圧迫とを感じずにはいられない。――動きのとれない苦しみを知る人でなければと思うと、私はお園の上から作者の上へと涙をうつすのであった。
――私の書方《かきかた》は、あんまり一葉女史を知ろうために、急ぎすぎていはしまいか。
或る人は女史を決して美人ではないといった。また馬場孤蝶《ばばこちょう》氏の記するところでは、美人ではなかったが決して醜い婦人ではない。先ず並々の容姿であったとある。親友の口からそう極《きわ》めがつけられているのを、見も逢いもせぬ私が、何故《なぜ
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