苦しいほどの、切羽《せっぱ》詰った生活が露骨に示されているのを、私は何となく、胸倉《むなぐら》をとられ、締めつけられるような切なさに堪えられぬといった気持ちがして、そのため読む気になれなかった。
しかし、今はどうかというに、私も年齢《よわい》を加えている。そして、様々のことから、心の目を、少しずつ開かれ風流や趣味に逃げて、そこから判断したことの錯誤《あやまち》をさとるようになった。この折こそと思って、私は長くそのままにしておいた一葉女史の日記を読むことにした。すこしでも親しみを持ちたいと思いながら――
で、お前はどう思ったか?
と誰かにたずねてもらいたいと思う。何故ならば、私はせまい見解を持ったおりに、よくこの日記を読まないでおいたと思ったことだった。拗《ひね》くれた先入観があっては、私はこの故人を、こう彷彿《ほうふつ》と思い浮べることは出来なかったであろう。よくこそ時機のくるのを待っていたと思いながら、日記のなかの、ある行にゆくと、瞼《まぶた》を引き擦《こす》るのであった。それで私に、そのあとでの、故人の感じはと問えば、私はこう答えたい気がする。
蕗《ふき》の匂《にお》いと、あの苦味
お世辞気のちっともない答えだ。四月のはじめに出る青い蕗のあまり太くない、土から摘立てのを歯にあてると、いいようのない爽《さわ》やかな薫《かお》りと、ほろ苦い味を与える。その二つの香味《こうみ》が、一葉女史の姿であり、心意気であり、魂であり、生活であったような気がする。
文芸評に渡るようにはなるが、作物を通して見た一葉女史にも、ほろ苦い涙の味がある。どの作のどの女《ひと》を見ても、幽艶、温雅、誠実、艶美、貞淑の化身《けしん》であり、所有者でありながら、そのいずれにも何かしら作者の持っていたものを隠している。柔風《やわかぜ》にも得《え》堪《たえ》ない花の一片《ひとひら》のような少女、萩《はぎ》の花の上におく露のような手弱女《たおやめ》に描きだされている女たちさえ、何処にか骨のあるところがある。ことに「にごり江」のお力《りき》、「やみ夜」のお蘭《らん》、「闇桜《やみざくら》」の千代子、「たま襷《だすき》」の糸子、「別れ霜」のお高《たか》、「うつせみ」の雪子、「十三夜」のお関《せき》、「経づくえ」のお園――と数えれば数えるものの、二十四年から二十八年へかけての五年間、二十五編の作中
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