ど思っていたであろうか、そして半井氏は――
 昔時《むかし》は知らずやや老いての半井氏は、訪客の談話が彼女の名にうつると、迷惑そうな顔をされるということである。そして一ことも彼女については語らぬということである。関如来氏の談によれば、ある日朝から一葉が半井氏を訪《たず》ねたことがある。彼女の声が、訪れたということを格子戸《こうしど》の外から告げられると、二階に執筆中の半井氏は不在《るす》だと言ってくれと関氏に頼んだ。関氏が階下へおりてゆくと、彼女は上って坐って待っていた。関氏は何時《いつ》も彼女の家を絶えずおとずれる訪客の一人であって、いつも彼女に饗応《きょうおう》をうける側の人であったので、こういう時こそと、自らが主人気取りで、半井氏が留守ならばとしきりに暇《いとま》を告げようとする女史を引止めたうえに、鮨《すし》などまでとって歓待した。そして午《ひる》ごろまで語りあった。階上の半井氏は、時がたつにしたがって、階下に用事があるようになったが、さりとて留守と言わせたのでおりる事は出来ず、人を呼ぶことは出来ず、その上|灰吹《はいふき》をポンとならして煙管《キセル》をはたくのが癖であることを、彼女がよく知っているので、そんな事にまで不自由を忍ばなければならなかったので、彼女が辞し去ったあとで、こんな事ならば逢って時間をつぶした方がよかったと呟《つぶや》いたということである。その一事《ひとこと》をもって総《すべ》ての推測を下すのではないが、憎くはないがこの女一人のためには、何もかも失ってもと思い込むほどの熱情は、なかったのであろう。その、どこやら物足らなさを、彼女の魂の中の暴君が、誇を疵《きず》つけられたように感じ、恋もし、慕いもしたが、また悔みもした。
 勝気の女はかなしかった。女人の誇りを、恋人の前でまで、赤裸《せきら》に投捨てられないものの恋は、かなしいが当然で、彼女は自ら火を点《つ》けた焔《ほのお》を、自らの冷たさをもって消そうと争った。
 彼女の恋愛記は成恋でもなければ勿論《もちろん》失恋でもない。恋というものに対して、自らの魂のなかで、冷熱相戦った手記であると同時に、肉体と霊魂との持久戦でもあった。彼女もまた旧道徳に従って、秘《ひそか》に恋に苦しむのを、恋愛の至上と思っていたらしい。
 彼女を恋に導いた友達――野々宮某女は、思いあがった彼女の誇りを利用して、巧
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