次の「似顏繪と双六」の章にも、前《まへ》に云つたやうなわけで、芝居といふものに對する第一印象は餘り好くなかつたとも、それ以來、家の人たちが芝居見物にゆく場合には、いつも留守番をしてゐたとも書かれてある。
癪にさはつて、出されたカステイラを毟つて食べ、お茶をがぶ/\飮んでゐた、岡本敬二坊ちやんを、眼にうかべて、わたしはそこのところを幾度も讀んだので忘れないでゐる。と、いふのも、わたくし自身も、幼いころは臆病で芝居に連れてゆかれると泣いて困らせたり、芝居茶屋の二階で人形をかざつてひとりで遊んでゐたりしたくせに、もの心附くと芝居が書いて見たくなつたのと思ひくらべて、そのをりはそんなに怒つた綺堂先生が、脚本をお書きなすつたことに、聯想した興味をもつたから忘れないのでもあつた。
しかし、この、八歳の幼時の氣慨で、岡本さんの一生はまことに鮮かに解る氣がする。座附狂言作者以外の脚本家の立つ場所を、あの、暗雲低迷、もぢやもぢやした芝居道に、クツキリと、道をつけてくださつたといふことだけでも、後から行くものは全く恩としなければならない。それは、一つには、時代がさうしたのだといへば、もとよりそれもある
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