八歳の時の憤激
長谷川時雨
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)父君《ちゝぎみ》
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(例)がぶ/\
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隨筆家としての岡本綺堂を語れといはれて、「明治劇談・ランプの下にて」の中の、ある一章を思ひ出した。
明治十二年、岡本先生八歳、父君《ちゝぎみ》にともなはれて新富座の樂屋に九代目市川團十郎をたづねたとき、坊ちやんも早く大きくなつて、好い芝居を書いてくださいと、笑ひながら言はれたのを、ただ、それだけならば、單に當座の冗談として聞き流すべきだつたが、更に、團十郎が父君にむかつて、
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
「わたくしはそれを皆《みな》さんに勸めてゐるのです。片つ端から作者部屋に抛り込んで置くうちには、一人ぐらゐ物になるでせう。」
[#ここで字下げ終わり]
といつた、その一言に對して非常に憤激したことを明かに記憶してゐると、「市川團十郎」といふ章に記してある。その次の「似顏繪と双六」の章にも、前《まへ》に云つたやうなわけで、芝居といふものに對する第一印象は餘り好くなかつたとも、それ以來、家の人たちが芝居見物にゆく場合には、いつも留守番をしてゐたとも書かれてある。
癪にさはつて、出されたカステイラを毟つて食べ、お茶をがぶ/\飮んでゐた、岡本敬二坊ちやんを、眼にうかべて、わたしはそこのところを幾度も讀んだので忘れないでゐる。と、いふのも、わたくし自身も、幼いころは臆病で芝居に連れてゆかれると泣いて困らせたり、芝居茶屋の二階で人形をかざつてひとりで遊んでゐたりしたくせに、もの心附くと芝居が書いて見たくなつたのと思ひくらべて、そのをりはそんなに怒つた綺堂先生が、脚本をお書きなすつたことに、聯想した興味をもつたから忘れないのでもあつた。
しかし、この、八歳の幼時の氣慨で、岡本さんの一生はまことに鮮かに解る氣がする。座附狂言作者以外の脚本家の立つ場所を、あの、暗雲低迷、もぢやもぢやした芝居道に、クツキリと、道をつけてくださつたといふことだけでも、後から行くものは全く恩としなければならない。それは、一つには、時代がさうしたのだといへば、もとよりそれもある
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