で美しくって、親孝行で、口答えもしないで、他家《よそ》の女の子より優しくしてくれる、めったにない息子を持っただけに錦子が、ムンズリと押黙ってしまうと、うちとけて話かけたくても、だんだん渋ったくなる気がして、そう長くは引き止めなかった。
それに、美妙がお酒好きで、飲みだすと帰りが遅くなるし女遊びをする様子も知っているだけに、
「何処《どこ》へ寄りましたかねえ。あの人は、種《いろ》んなことを考えているので、お友達のところへ行くと長いから。」
と、錦子に、帰るしお[#「しお」に傍点]を与えた。
錦子は、青葉の中を、美妙と、そぞろ歩きしようという、当《あて》が外《はず》れただけではない重っくるしさを抱えてぽっくり[#「ぽっくり」に傍点]を引きずって歩いた。
美妙斎の、特長のある長い顎《あご》も、西欧の詩人や学者のように、耳の辺《あたり》で、房《ふっ》さりと髪を縮らせた魅惑も、逢わない時はことさらに強く思いうかべられて、こういう時には、ああいう眼をする。ああした時には、額よりも顎《あご》の方が光ると、チラチラと眼にうかぶのだが――あの人は好きで好きでならないが、彼家《あすこ》のお嫁さんにと考えると、気が進まないのだった。
それに、樋口一葉が、好い小説を書出したので、自分ももっと勉強しなければいけないと思っていることを、意地わるく、しつこく思いだしたりした。美妙に逢っていると、励まされるのでそんなに屈託しなかったが――
「樋口夏子は苦労しているもの。だからって、あなたが、求めて、あの女とおんなじ苦労をしなくっても好い。あなたは、あなたのものが生れてくるさ。それに、僕がこんなに大事にしていれば、一葉は、かえって田沢錦子をうらやむかもしれない、いや、僕を好きなのではないが、あの女にも、恋はあろうさ。」
そんなようにもいわれた。一葉は、あの細っこい体で、一文菓子《いちもんがし》の仕入れにも行くのだそうだが、客好きで、眉山《びざん》などから聞くと不断《ふだん》は無口だが、文学談になると姐御《あねご》のようになる。そうすると、青い顔の頬《ほお》の上が真赤になって、顔が綺麗になるということだ。浅草の、大音寺前《だいおんじまえ》という吉原に近いところで荒物店《あらものや》を出すとかいうから、そのうちに吉原を素見《ひやか》しながら、あの辺を通って見ようといったりして、
「そんな生計《みすぎ》も、書くための、命をささえる代《しろ》なのだろう。」
と、それは、思いやりのある暗い眼つきをしたが――ああ、やっぱり、競《くら》べものにはならないのだ。好い気になって、のんきな気持ちで聴いていたが――
(じゃあ、あたしは、何を目的に、一生懸命になったら好いのだ。)
自問自答すると、(恋愛)という答えしか出なかった。そしてまた、その目標は美妙斎だと思わないわけにはいかなかった。
錦子が神保町《じんぼうちょう》へおりてくると、広い間口をもった宿屋の表二階一ぱいに、書生たちが重なって町を見おろしていた。この附近は下宿屋が門並《かどなみ》といっていいほどあって、手すりに手拭《てぬぐい》がどっさりぶらさがっていたり、寝具を干してある時もあるが、夕方などは、書生の顔が鈴なりになっているのだった。
書生たちが見おろしていたのは、ヨカヨカ飴屋《あめや》が来ているからだったが、飴屋は、錦子を見ると調子づいた。
ヨカヨカ飴屋は二、三人|連《づれ》で、一人が唄《うた》うと二人が囃《はや》した。手拭で鉢巻きをした頭の上へ、大きな盥《たらい》のようなものを乗せて、太鼓を叩《たた》いているが、畳つきの下駄を穿《は》いた、キザな着物を東《あずま》からげにして、題目太鼓の柄にメリンスの赤いのや青いきれを、ふんだんに飾りにしている、ドギツい、田舎《いなか》っぽいものだった。
ドドンガ、ドドンガと太鼓を打って、サイコドンドン、サイコドンドンと囃《はや》した。錦子が通ると錦子に呼びかけるように、
――お竹さんもおいで、お松さんも椎茸《しいたけ》さんも姐《ねえ》ちゃんも寄っといで。といやらしく言って、
――恋の痴話文《ちわぶみ》ナ、鼠《ねずみ》にひかれ猫をたのんで取りにやる。ズイとこきゃ――と一人が唄うと、サイコドンドン、サイコドンドンとやかましく囃したてた。
二階から書生どもはワッと笑いたてた。
錦子はカッとして、どんどん寄宿している叔父の家へ帰ってくると、一層不機嫌になっていた。孝子のところから手紙が来ているといわれても、ちっとも嬉《うれ》しくなかった。
それでも手紙は気になった。急いであけて見ると、
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――先達《せんだっ》ての「見立」の続きをお知らせいたします。あなたの好きな方のお名もありますから、早くお知らせいたしたく、お目にかかるまでとっておけないので手紙にしました。お礼をおっしゃい。
「文壇女性見立」
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女教師鴎外、芸妓紅葉、女生徒|漣《さざなみ》、女壮士|正太夫《しょうだゆう》、権妻《ごんさい》美妙、女役者|水蔭《すいいん》、比丘尼《びくに》露伴、後室《こうしつ》逍遥、踊の師匠眉山、町家の女房柳浪。
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それからね、衆議院議員見立には、山田美妙斎は改進党の島田しゃべ郎(三郎)よ。偉いのは田辺竜子と小金井貴美子と、若松|賤子《しずこ》の三人が、女でも、その仲間にはいっていました。
「当世作者忠臣蔵見立」というのでは、
由良之助《ゆらのすけ》が春のや(逍遥)で、若狭之助《わかさのすけ》が鴎外で、かおよ御前《ごぜん》が柳浪、勘平《かんぺい》が紅葉で、美妙はおかるよ。力弥《りきや》が漣《さざなみ》山人なの。定九郎《さだくろう》が正太夫なのは好いわね。
[#ここで字下げ終わり]
錦子は、おかるが美妙というところで、クスンと鼻で笑ったが、嬉しくなくはないが、なんとなく浮きたたなかった。
その晩の出来ごとで、もひとつ錦子を悲しませたことが出来た。
二、三年前から女の髪剪《かみき》りがはやっていたが、最初は、黒い歯の鋭い虫が噛《か》みきるのだといって下町の女たちは、極度に恐れて、呪文《じゅもん》を書いた紙をしごいて、髪に結びつけたりしていたが、そのうちに、なんでもそれは、通り魔のようなもので、知らないうちに髷《まげ》を切られたり、顔を斬られたりするのだといった。
美しい娘で、外に立っていたらば、突然、痛いと思うと、頬《ほっ》ぺたから血がにじみだしたというようなことは、眼につきやすい女に多かった。
錦子が、朝目ざめて見ると、唐人髷がころりと転《ころ》がりおちた。
ハッと唇の色を変えて、錦子は顫《ふる》えあがったが、いたずらものが忍び込んだ形跡もないので家の者たちは神業《かみわざ》だと、禍《わざわい》のせいにした。他分、表で斬られたのを、枕につくまで落ちずについていたのであったろう。だが錦子は、いやあな予感がしたのだった。
七面鳥の錦嬢《きんじょう》という名を、近所の書生たちからつけられたのは、唐人髷を切られてからだった。
短かい髪を二ツに割《わ》けて、三ツ編《あみ》のお下げにし、華やかな洋装となった錦子の学校通いは、神田、本郷の書生さんたちの血を沸騰させた。美妙斎の食指のムズムズしないわけはない。
――今日錦嬢と――
という文字は、美妙斎の日記二十四年の末からはじまっている。二十五年にいたっては、ますます頻繁《ひんぱん》だ。
ある時は、上野|摺鉢山《すりばちやま》――あの、昼も小暗《おぐら》く大樹の鬱蒼《うっそう》としていた、首くくりのよくある場所――上野公園のなかでも、とくに摺鉢山。ある時は九段――これも、日中あまり人通りがなかった場所だ。ある時は根津《ねづ》の旗亭《きてい》での食事。
ここで、一言《ひとこと》筆者が申したいのは現今、どなたの稲舟《いなぶね》研究にも、十九で死んだことになっているが、わたしは二十三歳と信じていた。ずっと前に書いた小伝にも根拠があって二十三と書いたのだが、この稿をはじめる時、あまり他の年譜を信じすぎて、自分の思いあやまりかと諸説にしたがい、末年を十九にとったために、年に無理が出来て来た。で、美妙が錦子の肩上げを見たところは十七であったが十八にしていただきたい。もっとも、錦子の生れた地方も、他の、みちのくの国々とおなじに、丸年《まるどし》で――満幾歳で数えていたとすれば、こじつけられないこともない。
写真も古い『文芸倶楽部』に出ていたのは、何処やら野暮くさいが、二十三の春にうつした婚礼の丸髷のは、聡明で、しとやかで、柔らかみがあり、品のある顔と、しなやかな姿だった。
さて、傍見《わきみ》をしないで、急ぎましょう。
十九になった錦子は、小暗い木蔭の道路での、美妙斎の肘《ひじ》の小突き工合や、指の握りかた、その他のあしらいの荒っぽさや、丁寧さが、女の心を掴むのに、活殺自在であることを、なんとなく感知した。
側にいても、身が縮まるような悦びは、それはもう、とうに過ぎさった日となった。今は、美妙が接する女は、自分ばかりでないのを知って悲しかった。
――あたしはこんなことを仕《し》に来たのではない。
そんなふうに、冷たく自分を叱ることもある。
――こんなことで、一葉に負けない小説が書けるか――
悦びといまいましさと、切なさが、幻燈の花輪車《かりんしゃ》のように、赤く黄色く青く、くるくると廻る――そんな時に、国|許《もと》へ帰れと呼びかえされた。
「お父さんが、あんなに、お前の、書いたり読んだりするのを嫌がって、厳しくなさったのを、学校を勉強するからと出してあげたのだ。」
それがまあ、とんでもない女になって――と、可愛がった祖母までが怒っているという。
七面鳥とは、派手に美しい錦子の洋服姿であり、昨日の優美な娘風と、一夜に変ったスタイルを、書生たちは言現《いいあらわ》したのであろうが、錦子は、たしかにその頃から、沈んだり、はしゃいだりすることが多くなった。
「あたし、郷里《くに》へ帰らなきゃならないのよ。だけど、いいわ。あっちにいて、思いっきり勉強するの、好いもの書くわ。」
そう言って泣かれた友達は、それも好いかも知れないと慰めて、
「なにしろ、あんまりあなた、美妙斎が好きすぎるもの。『いらつ女《め》』に書いてる女《ひと》にも何かあるんだって? 困るわねえ、浅草にもだってね。」
自分の好きな男は、他女《ひと》も好きなのだ――そんなふうに簡単に錦子に考えられたろうか?
錦子はこんなふうに思うこともある。阿古屋姫《あこやひめ》とは誰だろう――そもじは阿古屋の貝にもまさった宝と、何かに書いてあったが誰だろう。あたしかしら?
――甘いささやき――
銀蜂《ぎんばち》がブンブン言っているのでも、郷里《くに》へ帰った錦子は、ものごとが手につかなかった。
だが、ふと、美妙の手許にあった、薄すべったい、青黒い表紙の雑記帳を、一ひらめくって見た、厭《いや》な思い出もおもいださないことはない。表紙うらに鉛筆のはしり書きで、
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奈《な》まじいにあひ見る事のつれなきに
さりともあはで返されもせず
[#ここで字下げ終わり]
廿四年十一月六日作とあった。あれが、わたしへの、ほんとの美妙の心ではないかとも思い、いえ、そんなことは決してないはずだとも打消した。
しかし、どうも、それは、はずでばかりはなかったようだ。人の心は微妙であるから、なんとも他《ほか》からはっきりは定《き》められないが、美妙斎はそのころから関係のあった、浅草公園の女、石井|留女《とめじょ》を、九月|尽日《じんじつ》に落籍《らくせき》して、その祝賀を、その、おなじ雑記帳へも書いているのだ。
この女の人を、後《のち》におっぽりだしたので、『万朝報』でたたかれて、美妙斎は失脚の第一歩を踏んだのだったが、留女を落籍した日は暴風の日であって、一直《いちなお》から料理をとって祝った。茶碗もりや、鯛《たい》の頭附《かしらつ》きの焼もので、赤の飯で囃《はや》したてたのだ。その後、
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