は》いていたということだ。
 だがまた、それは、明治の初期から二十年ころまではそうしたふうがハイカラだったのだ。ハイカラ――高襟は、もっと、ずっと後日で生れた言葉だが、言い現《あらわ》すのに都合が好いから借用する。芝居の、黙阿弥《もくあみ》もので見てもわかるが、房《ふ》っさりした散髪を一握り額にこぼして、シャツを着て長靴を穿《は》いているのが、文明開化人だ。しかも、金巾《カナキン》のポッサリした兵児帯《へこおび》を締《しめ》て、ダラリと尻《しり》へ垂らしている。これも後には、白か紫の唐縮緬《モスリン》になり、哀れなほど腰の弱い安|縮緬《ちりめん》や、羽二重《はぶたえ》絞りの猫じゃらしになったが、どんな本絞りの鹿《か》の子《こ》でも、ぐいと締る下町ッ子とは、何処か肌合《はだあい》が違っている。しかし、絞りをしめだしたのもずっとあとだ。
 とはいえ、年少にて名をなした、美妙斎の額は、叡智《えいち》に輝いていた。
 ことに、その時分は、紅葉、眉山、思案、九華と、硯友社創立時の友達たちを向うに廻して、金は這入《はい》るが、「蝴蝶」を発表当時ほど言文一致派の気焔《きえん》は上らないで、西鶴《さい
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