かく》研究派の方が、頭角を出して来たうえに、言文一致は、二葉亭四迷《ふたばていしめい》の「浮《うき》くさ」の方が、山田より前だのあとだのと論《あげ》つらわれたり、幸田露伴の「五重の塔」や「風流仏《ふうりゅうぶつ》」に、ぐっと前へ出られてしまってはいたが、美妙斎の優男《やさおとこ》に似合ぬ闘志さかんなのが、錦子には誰よりも勝《まさ》ったものに見えもすれば、スタイルも好きだった。
「先生。」
と、彼女は、離れともない思慕もまじえて、
「あたくし、一生懸命になります。当今《いま》どんな方たちが、女で、小説をお書きになってらっしゃいます。」
座蒲団《ざぶとん》の隅を折りながら、うつむきがちに、それでも、ハッキリと言った。
「さあ! 樋口一葉《ひぐちいちよう》という人が、勉強しているというが――三宅《みやけ》龍子、小金井《こがねい》喜美子、若松|賤子《しずこ》――その人たちかな。あなたのように、書こうとしている女《ひと》はあるでしょうよ。」
「その方たち、どういう方なのでございます。」
「小金井喜美子さんは、森|鴎外《おうがい》さんの妹さんです。」
「あ。あの『舞姫』をお書きになった、鴎外先生の?」
「小金井さんは、ふらんす[#「ふらんす」に傍点]の翻訳。若松賤子は英語もので、両方とも強《しっ》かりしている。若松賤子は明治女学校の校長さんの夫人で、巌本|嘉志子《かしこ》というのが本名だ。」
美妙斎は眼を窓の外にやって、この娘を送ってやりながら散歩してもいい日だと思っている。
窓は八畳の室にあって、八、九年前には、学生だった紅葉山人が同居して、机を並べて、朝から晩まで文学談をやっていたということや、北向きだから冬は寒いということまで、窓をあけてお茶の水の土手を見渡しながら、美妙斎はへだてなく語った。
そんなに気の合った紅葉が、たった三、四日で、飯田町《いいだまち》の祖父母の宅へ越していってしまったのは、窓が北向きで、寒いばかりではなかった。長く、後家《ごけ》同様に暮している山田の母親と、その姑《しゅうとめ》にあたる、とても口やかましい祖母とがいて、おとなしい孫息子を、引っかかえすぎるのに、煩《うる》さくなって越したのだが、その事だけは、美妙斎はいわなかった。
神田川にそそぐお茶の水の堀割は、両岸の土手が高く、樹木が鬱蒼《うっそう》として、水戸《みと》家が聘《へい》した朱舜水《しゅしゅんすい》が、小赤壁《しょうせきへき》の名を附したほど、茗渓《めいけい》は幽邃《ゆうすい》の地だった。
徳川幕府の士人の大学、昌平黌《しょうへいこう》聖堂の森は、まだ面影を残し、高等師範学校の塀《へい》は見えるが、かかったばかりのお茶の水橋は、細く、すっと、好《い》い恰好《かっこう》だ。錦子も立って眺めた。鶯《うぐいす》がささ鳴きをし、目白《めじろ》が枝わたりをしている。人声もきこえぬ静かさで、何処からか謡《うたい》の鼓《つづみ》の音がきこえてくる。
「君は、やっぱり一ツ橋の女子職業学校にしましたか?」
美妙斎は錦子を、傍におきたい慾望をもって言った。
東京見物をするならばと誘われたが、錦子は、麹町《こうじまち》の女学校に、おなじ郷里から来ている友達が、外まで迎えに来てくれているはずだからと断った。
帰りがけに、書いて持って来ていた小説を、美妙の机の横において、目を通してくれといった。山田の門口《かどぐち》まで迎いに来ていたのは進藤孝子という仲のよい友達で、その女の生家も、鶴岡市の医者だった。
錦子と孝子が逢えば、話はいつも詩のことだった。孝子は新体詩を好んだので、美妙が、美しい詩ばかりでなく、「貧」というのでは、紙屑《かみくず》買いをうたっているといえば、錦子は、坑夫の詩もあるし、車夫の小説もあると負けずに言う。
この二人が文壇の見立《みたて》を探しだして、面白がって、くらべっこをした。
「凌雲閣《りょううんかく》登壇人(未来の天狗《てんぐ》木葉武者《こっぱむしゃ》)ってのがあるわ。浅草公園、十二階のことでしょ。」
錦子が展《ひろ》げると、孝子が首をのばして、
「エレベエタア休止中、螺旋《らせん》階にて登りし人――とあるわ。」
と、読みだした。
「頂上十二階までが、春のや主人――坪内逍遥《つぼうちしょうよう》よ。それから、森鴎外、森田|思軒《しけん》、依田学海《よだがくかい》、宮崎|三昧道人《さんまいどうじん》。」
「あたしにも読ましてよ。」
と錦子は引きとって、
「エレベエタアにて一分間に登りし人、頂上十二階まで紅葉山人、露伴子、美妙斎主人――いいわね。」
錦子は、苺《いちご》のような色の濡《ぬ》れた唇で、
「十一階が二葉亭だわ。それと、漣山人《さざなみさんじん》。十階に広津柳浪《ひろつりゅうろう》と江見水蔭《えみすいいん》よ。五階
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