可愛がっているんだから――」
と、美妙はとりなすが、美妙が大祖《たいそ》と称するところの、八十五歳の養祖母おます婆さんは、木乃伊《ミイラ》のごとき体から三途《さんず》の川の脱衣婆《おばあ》さんのような眼を光らせて、姑《しゅうとめ》およしお婆さんの頭越しに錦子を睨《にら》めつけた。
美妙の父吉雄が、およしの妹とずっと同棲していて、帰らないというのも、この大祖お婆さんがいるからだということを、錦子は嫌というほど悟らせられた。
だが、そうした女傑が、二人も鎮座することは、錦子も承知の上だった。その覚悟はしていたのだが、耐えられないのは、日本橋に出ている芸妓に、美妙の子供が出来かけている――ということだ。狭い家庭内で、三人の女に泥渦《どろうず》を捏《こ》ねかえさせないではおかなかったのだ。
錦子は半狂乱のようになった。そんな時期だったのだろう。錦子は墨田川へ身を投げようとした。――墨田川! それは、ふうちゃんが水をみつめていた、あの橋の上流だ。
結婚してたった四月、お金を無心にやられたのだともいうし、離縁されて帰されたのだともいい、体の悪いのを案じて出京した母親が、連れもどったのだともいわれているが、そのうちのどれにしても帰りにくかった古里《ふるさと》へ、錦子は帰らなければならなかったのだが、故郷にも待っている冷たい眼は、傷心の人を撫《なで》てはくれない。
憂鬱《ゆううつ》の半年、身をひきむしってしまいたいような日々を、人形を抱いて見たり投《ほう》りだしたり、小説を書けば、「五大堂」のように、没身《みなげ》心中を思ったりして、錦子はだんだんに労《つか》れていった。
事あれかしの世間は、我儘娘の末路、自由結婚、恋愛|三昧《ざんまい》の破綻《はたん》を呵責《かしゃく》なく責めて、美妙に捨《すて》られた稲舟は、美妙を呪《のろ》って小説「悪魔」を書いていると毒舌を弄《ろう》した。
錦子は、そうまでされても美妙をかば[#「かば」に傍点]った。そんなものは書いていないということを、紅葉の文芸欄といってもよい、『読売新聞』によって、「月にうたう懺悔《ざんげ》の一節《ひとふし》」を発表してもらったが、自分が悪かったということばかりいっている、しどろもどろの長歌みたいなものだった。
恋とはそうしたものか、そんな中でも、美妙へは消息していた。手紙では人目が煩《うる》さいので、書
前へ
次へ
全31ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング