と、お母さんは考えるように言うのだった。
 錦子は、ふと、暗い気がした。美妙は好きで好きで堪《たま》らないが、このお母さんや、もっと強いおばあさんがいる、この家の者にはなりきれないと思うのだった。
 そんなこと、自分だけの考えだと思っていたらば、このお母さんも、何か、そんな事を考えているのだなと思えた。
 それは、錦子が感じた通りだったのだが、お母さんの方は、息子も厭《きら》いでなさそうな娘で、丁度|好《よ》さそうだと思うが、この娘が自分に代って炊事や、掃除《そうじ》などをするだろうかと考えるのだった。嫁は使いよい女中をかねなければならないというのが、その人たちの女庭訓《おんなていきん》であったのだ。
 錦子は、美妙は師の君ででもよいが、もっと深い交渉も持ちたかった。だが、この家庭の嫁となることは躊躇《ちゅうちょ》された。彼女は美妙に愛されて――それよりもっと愛されたいものが芽ぐんでいる。それは、一度根ざしたら、その生涯であろう芸術の芽だった。
「ここいらあたりで身を固めさせたい。」
 賢なる母親は、あんまり年若く名をなした息子の盛名が、昨今、すこしなま[#「なま」に傍点]っているので、なんとなく前途を危惧《きぐ》していた。地方の豪家と縁を結んでおけば――そんな下心がないともいわれなかった。
「武太郎は孝行ですよ。言文一致とかで書きだした時も、まっさきにあたしに読んできかせましたのですよ。あたしが、そこが、いけないといえばきっと直しました。」
 おお、それは、と錦子は眼をパチパチさせた。これは大変、自分のものも、そんなふうに差図されては堪《たま》らないと案じた。だが、
「先生は、ほんとに美しい、よいお声でございますわねえ。」
と、長い袂《たもと》を、膝《ひざ》の上に、乗せたりかえしたりして、どうして、暇《いとま》を告げようかとしていた。
「山形の方もお寒いのでしょうね、山田の父の出は、岩手県《なんぶ》の山田と申すところですの。いいえ、あたしたちは知りませんけれど。」
 美妙の母親は、江戸生れの者には、肌合《はだあい》が違う重っくるしさを、仲たがいをして離れている夫からとおなじにこの娘からも受取りながら、
「でも、あたしも医者の娘ですよ。」
と笑った。東洋のシェクスピヤというような、輝かしいあだ名[#「あだ名」に傍点]のあった天才を生んで、しかもその独り子が、色白
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