司《ぐんじ》の娘、小町の容色をひく錦子も、真っ白な肌をもっている、しかも、十七の春であれば、薄もも色ににおってくる血の色のうつくしさに、自分でも見とれることもあるのだった。その生々しさが湧《わ》きあがったとき、この娘は、
 ――なんて拙《まず》いんだろう。
と、自分の描く絵が模写にすぎないのを、腹立たしくなっていた。
 ――この色は出やあしない。こんな、綺麗《きれい》な色は、ちっとも出やあしないじゃないか、残念だが――
 彼女は、自分の腕に喰《く》いつくこともあった。と、そこにパッとにじみだして開いてくる命の花のはなやぎを、どんなふうに色に出したら写せるかと、瞶《みつ》めながら匕《さじ》をなげた。
 匕を投げたといえば、錦子はお医者さまの娘だ。徳川時代には、お匕といえば、御殿医であることがわかり、医者が匕を投げたといえば病人が助からぬということであるし、匕を持つといえば内科医のことだった。これは漢法医が多く、漢薬は、きざんであったのを、盛りあわせて煎《せん》じるから、医者は薬箱をもたせ、薬箱には、柄《え》の永い、細長い平たい匕――連翹《れんぎょう》の花片《はなびら》の小がたのかたちのをもっていたものだ。
 錦子の家は出羽の西田川郡であったが、庄内米、酒田港と、物資の豊かな、鶴岡の市はずれではあり、明治廿年代で西洋医学をとり入れた医院だったから、文化の低い土地では、比較的新智識の家族で、名望もあった。
 ――あたしの画はまずい。
と、思う下から、山田美妙斎の小説は、なんと素《す》ばらしく、女の肉体の豊富さを描きつくしているのだろうと、口惜《くや》しいほどだった。
 錦子は、水に濡《ぬ》れ浸《ひた》った蝴蝶の、光るような、なめらかな肌が、目の前にあるように、眼をよせて眺《なが》めていた。小説の中の蝴蝶も、自分の年とおなじ位だと思うと、彼女は自分の肌を、美妙斎に、描写されたように恥《はずか》しかった。それは、いつぞや、自分のことを言ってやった文《ふみ》に、
 ――体に、脂《あぶら》があると見えて、お風呂《ふろ》にはいった時も、川で泳いだときも、水から出て見ると、水晶の玉のように、パラパラと水をはじいてしまって――
 そんなふうに、書いたこともあった気もするのだ。
 ――ええ、泳ぎますとも、まっぱだかで――とも書いたようだ。
 ――田沢湖は秋田です。うつくしい郡司の娘が、恋
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