くだけで、私の知りたい慾は實にもの足らなかつた。だが、この繪雙紙《ゑざうし》だけは、私が買ひにゆくことを許された。父は、すこしばかり繪を描くので、閑があれば夜でも自分で見にいつたが、家業のほかに公報義會《こうはうぎくわい》とかなんとか、戰勝の祝賀や弔慰などに顏を出すことが忙しくなつてゆくので、おなじ版畫でも、筆者や、圖柄《づがら》や、摺りの好いのを自分で選つてゐられないので、大概間違ひがないといふので、適當に買ふことを私にまかせてくれた。
 ある宵、安城渡《あんじやうと》の、松崎大尉の繪のよいのが出たといふので、おなじ圖柄《づがら》のは、幾組か求めてはあるが、父に褒められようと思つて、薄雨《うすさめ》のするなかを、傘を背に傾けて、店一ぱいに三枚つづきや四枚つづきの戰爭繪を吊り下げた、繪雙紙屋《ゑざうしや》の前に立つてゐた。淺草行の鐵道馬車のレールが雨に濡れて白く、繪雙紙屋《ゑざうしや》の店さきに人立ちがないので、皓々《こう/\》とした洋燈《らんぷ》の光りが、レールに流れてゐた。
 私は探海燈で、海底《うみのそこ》を照してゐる軍艦の繪を見てゐると、
「ああ、ここに居た、おやつちやん。」

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