ある、眞つ暗な家に祖母と二人住んでゐて、硫黄仙人《いわうせんにん》とあだなされる、年中硫黄の出る山を探し歩いて歸つて來ない祖父の留守を、輸出の絹手巾の刺繍や縁縫《ふちぬ》ひをして、生活の足しにして娘盛りを過してしまつたが、羽二重の工場をもつてゐるといふ埼玉だか茨城だかの資本主が、宿屋は厭だからと頼みこんで來て、そのあとで結婚を申込まれた。田舍へ伴なはれてゆくと、豪農には違ひないが、工女を追ひ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]してゐるのは細君で、息子もあるといふのが分つた。しかも、身重になつてしまつたといふ落度《おちど》があつたので、私の家にゐても姉の私の母へは遠慮がちだつた。
「おやつちやん、あたしは――」
 と、お糸さんはちよつぽりと、お出額《でこ》の下の小さな眼に雫《しづく》をうかべて、
「あたしは、看護婦になつて行きたいと思ふんですけど、姉さんには言へないし――」
 生意氣にもあたしは、おお尤《もつとも》だと思つた。姪や甥の乳母のやうに、抱いたり背負つたりして暮してゐる彼女を、日頃いとしいと思つてゐたので、
「あたしだつてなりたいものね。」
 と勇氣づけてやつた。三十にも
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