んとなくざわざわしてゐた。
やがて、
「熊本では、梅干が一升一錢だつたといふほど安かつたのに、二錢七厘に上つたつて新聞に出てゐます。」
 勝男節《かつをぶし》だの、梅干だの、澤庵だのと、戰地の食《たべ》もののことを女たちは氣にして話しだすやうになつてゐた。
 するとある日、藏座敷《くらざしき》で私が何かしてゐるとき、お糸さんが、妙に言出しにくさうにして、四邊《あたり》をはばかりながら傍に寄つて來た。お糸さんは母の末の妹で、御維新の時生れて間がなかつたから、微祿《びろく》した舊幕臣の娘に育つて、おまけに私の母方《はゝかた》の祖父は、私の書いた「舊聞日本橋《きうぶんにほんばし》」の中に、木魚《もくぎよ》の顏と題したほど、チンチクリンのお出額《でこ》なのだが、そつくりそのまま似て生れてしまつてゐる果敢《はか》ない女性《ひと》だつた。なまじひに良すぎるほど毛がよくつて、押出さないでも鬢たぼがふつくらと、雲鬢《うんびん》とでもいふ形容をしてもよいのだらうと思ふほどであつた。
 彼女は、下谷青石横丁《したやあをいしよこちやう》の、晝間も大きな蟇《ひきがへる》が出て來て蚊を吸つてゐるやうな、古い庭の
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