》だつた。
 私はいとけない時、芝の神明樣《しんめいさま》の祭禮《おまつり》の歸途《かへり》に、京橋の松田といふ料理店《おちやや》で、支那人の人浚《ひとさらひ》に目をつけられたとかで、祖母と供の者を吃驚させたことがあるが、むやみやたらと敵愾心を煽つて、チヤンコロをやつつけろと罵るのをきくと、あんなに言はないでもと思ひながら、氣味の惡い奴等もゐなくなるだらうとも思つてゐた。全く現今《いま》では想像のつかないほど、横濱の南京町《ナンキンまち》など不氣味な場所《ところ》だつたやうだ。
 戰爭劇も澤山あつたが、私は明治座でやつた、先代《せんだい》左團次《さだんじ》と秀調《しうてう》の夫婦別れを思出す。これは際物《きはもの》ではあつても、チヤンとしたものだと思つてゐる。たしか、築地あたりに住む、退去しなければならない支那商人と、日本人の妻との離別のやるせなさを書いたもので、善良な支那人の呉服行商人夫妻をとりあつかつたものであつたが、左團次《さだんじ》の熱演と、秀調《しうてう》の好技とともに、よい印象を與へてくれた。
 それはさておき、私のうちの一脈《いちみやく》は、開戰と同時に皆がムヅムヅムヅと
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