ならうとするお糸さんは、年齡《とし》の半分も下の姪から愛情をいつも受けてゐた。その時も、糠星《ぬかぼし》のやうな眼に、急に火が點《とぼ》つて、
「ぢやあ、赤十字社の看護婦規則書を貰つて、手續きをきいて來ますわ。けれど、好いでせうかね。」
 お糸さんは言つた。あたしのほかに、仕立屋のおまんちやんも、それから誰とかさんもさういつてゐると――その女《ひと》たちもよくは知らなかつたが、可哀さうな境遇な女《ひと》たちだつた。彼女たちは自分の立場をはつきりと知つて、有甲斐《ありがひ》のない身を御用に立てたいと、愼しみ深い底の情熱を示しだしたのだ。
 妹と娘とが、そんな示し合せをしたことを母は知らなかつた。お糸さんは八端《はつたん》のねんねこで、母の祕藏ツ子だつた弟をおぶつて買もののやうなふりをして出かけた。

 新聞の號外は出たが――號外のはじまりかもしれない――寫眞版はない。繪はがき屋さへまだなかつた。新版繪雙紙《しんばんゑざうし》が出ると、早速に人だかりだ。
 私のうちは、なかなか私たちを外へ出してはくれない。嚴しすぎるしつけかただから、實に世間の景況がわからなかつた。新聞や、來る人の口から聞くだけで、私の知りたい慾は實にもの足らなかつた。だが、この繪雙紙《ゑざうし》だけは、私が買ひにゆくことを許された。父は、すこしばかり繪を描くので、閑があれば夜でも自分で見にいつたが、家業のほかに公報義會《こうはうぎくわい》とかなんとか、戰勝の祝賀や弔慰などに顏を出すことが忙しくなつてゆくので、おなじ版畫でも、筆者や、圖柄《づがら》や、摺りの好いのを自分で選つてゐられないので、大概間違ひがないといふので、適當に買ふことを私にまかせてくれた。
 ある宵、安城渡《あんじやうと》の、松崎大尉の繪のよいのが出たといふので、おなじ圖柄《づがら》のは、幾組か求めてはあるが、父に褒められようと思つて、薄雨《うすさめ》のするなかを、傘を背に傾けて、店一ぱいに三枚つづきや四枚つづきの戰爭繪を吊り下げた、繪雙紙屋《ゑざうしや》の前に立つてゐた。淺草行の鐵道馬車のレールが雨に濡れて白く、繪雙紙屋《ゑざうしや》の店さきに人立ちがないので、皓々《こう/\》とした洋燈《らんぷ》の光りが、レールに流れてゐた。
 私は探海燈で、海底《うみのそこ》を照してゐる軍艦の繪を見てゐると、
「ああ、ここに居た、おやつちやん。」

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