と、追つかけてきたお糸さんが傘のなかでシクシク泣いてゐる。失敗したのかなあと、あれつきり話をきくことが出來なかつた、赤十字社の看護婦のことをきいた。
「いけなかつたの。」
「おたきさんが、もつとよくお考へつて――」
 おたきさんは私の母の名だ。
「規則書は貰つたの。」
 お糸さんはこつくりと頷《うなづ》いた。そして雄辯に言つた。
「行きましたともさ、すぐに行つて種々《いろ/\》聽いてきたの。今日もちよつと行つて來たのですの。あなたは、まだ年少《ちひ》さいから駄目なのよ。あたくしはね、直《すぐ》にあちらへ行くといふ譯には行きませんけれど、どうにか、看護婦志願は出來るのですけれど――」
 私は、年少《ねんせう》でもあらう、けれど、私は母にも誰にも言ひはしないが、胸が痛んでゐるのだつた。だから駄目であらうとは覺悟してゐる。お糸さんの目的を叶へさせたいので、一緒にといつたのだつた。
「そんなわからないこといつて、お母《つか》さん。」
 さうはいふが、八釜《やかま》しい姑をもつて、その姑より嚴しくやかましい母を私はよく知つてゐたから、
「今、すぐと言はないでね。」
 なんかと、叔母を慰めながら歸つた。

 ――おおなんと、それから長い長い月日が流れたか。松崎中佐といふ、見上げるやうな大きな、容貌魁偉の軍人さんにお逢ひしたのは近年だ。その方が、安城渡《あんじやうと》の激戰に戰死された松崎大尉の遺孤《ゐこ》だつたのだ。私はその時、購《あがな》つた繪雙紙《ゑざうし》をもつてゐたので差上げたらば、大層よろこばれて、自宅《うち》にはなかつたので、母が――松崎大尉未亡人が非常によろこび、懷しがつたとお禮を申された。
 松崎大尉が陸軍で一番最初の戰死だつたやうに覺えてゐる。安城川《あんじやうがは》を渡るのに、連日の霖雨で水嵩がまして、淺いところでも頸《くび》に達したのを、大尉が劒を翳して先頭に立つて渡つた。前隊が行き過ぎたころ、伏兵が後隊との間に現はれ、大尉の憤戰死鬪は敵を潰走せしめたが、終にそこに戰死をされたのだつた。

 連戰連勝だが、身の引き緊るやうな話も幾度かきいた。連戰連勝つたつて、ただ幸運でそこまで行くものではないといふ教へを、たしかに心にうけた。
 東京では祝賀會に、豚の据物斬《すゑものぎり》をして、豚汁をつくり、祝酒《いはひざけ》を飮むことが多かつた。父は豚の据物斬《すゑ
前へ 次へ
全7ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング