―私は、早春の初霞を見る、初夏の白き漂ひを見る。冬の夕暮の空のうるみなど、大内山の森と下町の空とにわたる複雜な、東京特有の空の色である。
「ああ、綺麗だ。」
さういふわたしの言葉を、ある時、一人の女友だちが遮つた。山國に故郷をもつてゐる人だつた。
「汚ないぢやありませんか、霞だつて、どす濁つてゐて。空まで埃つぽい。」
人間の多く住んでゐる空だから――大都であるから――と、あたしは言ひたかつた。ここでも激しい雨のあとなどで、洗はれたやうな空や入陽の名殘りの光芒を見ることがあるが、いかにも鮮明だが、ぼかされた深い味がなく、町々の屋根などまざまざと造りものである感じで、何か、却つて孤獨を感じ、せせこましい氣さへするものだ。
翠緑《みどり》をへだてて宮城にむかふ建築が、歐米各國の樣式であつて、調はないといふやうにもきいてゐるが、わたくしなどには、それらの諸建築が宮城外廓の、日本式の白壁に相對して、調和のとれない調和をなして、どんな建築であらうと、あの白壁の櫓が跳返し、照りかへしてゐるのを實に美事だと思つてゐる。その點、特定の一種の一國を眞似た洋風建物よりも、各種の立派なものが多ければ多いほど、宮城の美と壯觀は増す。大内山のみどりの色こそ萬代不變、巨木大樹をますます欝蒼たらしめて頂きたく願つてゐる。
常磐なす常磐のいろ、移し植ゑたものでなく、國の肇めの當初から根ざしかためて生ひつたへた巨樹大木が、宮城を守つてゐる事はいかにも崇嚴である。かつて上野博物館の後に巨樹が生ひ聳えてゐたころ、博物館の建物そのものが、いかに神々しく、この國の歴史を中に藏してゐることを神聖におもはせたか――建物、それの立派さなどとは異つた不言不語《いはずかたらず》のものを示してゐたが――
その點で、水利の便もあつたであらうが、江戸開府時代の人たちが丘を殘しておいて、海を埋めて住んだのは當を得てゐる。そしてまた、今度の二千六百年記念の大博覽會が、月嶋のさきの埋立地を會場とすることはもつともよろしい。あの、もはや狹くなつてしまつた上野公園を、何かあるたびに、惜しげもなく巨木を伐り倒すのは――もはや幾本もなくなつてしまつたが――
震災後の下町は、いつて見れば、新しい開府時代が來たのだ。そこに、この事變に教へられて、最も最新式の都市建築が考へられなければならないから、機械化する美觀と相對して、宮城
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