一帶はます/\貴い地帶となる。
去年の春のくれがた、午後の、陽はもう翳らうとしてゐたが、二重橋前近く、芝生のタンポポは、黄金色に、一面に輝いてゐた。私の車は、靜かに靜かに除行する。私は、心の憩ひのやうにこの路を通らして頂くので、例により、空を、四邊を樂しみながらゆくと、車の前を低く、パツと立つてよぎつたのは雉子だつた。
何だか、無性にわたしは嬉しかつた。この激しい東京の中央に、この激しい今日の東京に――と思ふと、御所前一帶は、東京市民のオアシスとなることであらうと思つた。丁度、海外同胞へ「故國のたより」をラヂオで語りかける機會をもつてゐたので、この平和な光景を、早速に傳へたのだつた。
が、今日の新聞は、和田倉門の、高麗門と橋が危くなつたのでとりのぞかれると報じてゐる。どうか、事變がすんだらば、早速復舊してほしい。あの木橋へ、ひた/\と水がすれ/\にあつて、柳がなびいてゐる小雨の日の風情は、東京市中、もう何處にもなくなるであらう江戸の面影である。今日の人には、まだ珍らしくはないが、この後にくるものに、殘されるものは殘してやつておいた方がよいと思ふ。
そこでまた、わたくしの望みは建築物にかへる。丸の内をとりまく個所は西洋建築でよいとして、日本橋ツ子よ、京橋ツ子よ、そして淺草、下谷の人々よ、安いコンクリートまがひをやめ、耐火、耐震、防空の強かりしたものを建てて、その表面は、黒壁の店藏造りにしませんか。壁を塗らずとも、黒壁をおもはせる、新しい店藏づくりの甍を並べたならば、宮城と相對し、中央に歐風諸建築をはさんで、眞の、日本的な、そして東京の氣風が出ると思ふが――
あんまり急な市の膨脹と共に、田舍のステーシヨン前の感じのする町つづきになつてしまつては、東京の特色が見られない。
アジアの首都、東京の面貌は、日本の、そして東京の特色がなくつてはいけない。
底本:「隨筆 きもの」實業之日本社
1939(昭和14)年10月20日発行
1939(昭和14)年11月7日5版
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年12月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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