見つけたのがはじまりで、
 こんな狡《こす》いことをしてゐる、よく花客《とくい》が知らずにゐるな、と言つた。
 俺は山盛りに賣るからよ、爺《ぢい》さんはどうする、と小僧は面白さうにきいた。
 俺か、俺は桝《これ》に一ぱいならして賣るのよ。
 へん、客がよろこぶめい。賣れるか。
 賣れねえ。
 乘りあひの者は一時に笑つた、例《いつも》の通り船頭が口をだした。
 小僧、三十錢から賣つたつて、家《うち》へは二十錢も、もつてけへるめい、なあよ。
 それはいけねえ。家《うち》で母親《おふくろ》が當《あて》にしてゐるのだから、ちやんと持つてかへつて、二錢でも三錢でも氣《き》もちよくもらへ、と、おぢいさんは首をふつた。
 十五錢もありや母親《おふくろ》は好いのよ。十錢買喰ひをしても、よけいに取れるから割が好いやな、と、も一人の船頭が言つた。
 二錢ばかしの小遣なら、爺さんのやうに十錢も稼いでおかあ、なあよ。
 違ひない、と皆はまた笑つた。小僧は笊に殘つてゐたすこしばかりの蜆《しゞみ》を、河の中へ底を叩いてあけてしまつた。お爺さんは掌に河水をすくつて、笊の底に乾ききつてゐる貝へかけてゐる。傍《はた》の
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