峰百合子女史は、
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ゆきあひし駒込道《こまごめみち》はちかけれどふたゝび君に逢《あ》ふよしのなき
いたづらに窓の日かげをまもりつゝ、帰らぬ友の行方《ゆくえ》をぞおもふ
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 片山広子女史は、
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うつくしきものゝすべてをあつめたる其《その》うつそみは隠ろひしはや
さわやかにいと花やかに笑《え》みましゝ、今年の春ぞ別れなりける
書きながすはかなき歌も清《きよ》らなる御目《おんめ》に入るをほこりとぞせし
千人はゆふべに死にて生るとも二たび来ます君ならめやは
豊島《としま》のや千本《ちもと》のいてふ落葉する夕日の森に御供《みとも》するかな
なき世《よ》まで君が心のかゝりけむその幼児をいだきてぞ泣く
掘りかへす新土《あらつち》の香《か》も痛ましう夕日にそむき只泣かれける
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と嘆きうたわれました。誰《たれ》の胸にも楠緒女史は、美しい面影と思出を残してゆかれました。まして大塚博士の悲しみはどれ程でありましたろう。御自分でも癒《なお》るとばかり信じていた死の床の枕上には、紙の白いままのノートが幾冊か重ねられてあったという事でした。そういう悲しい思出は数ある楽しかったことよりも深く、博士が腕に抱《かか》えて帰京なされた、遺骨の重味《おもみ》と共に終世お忘れにならないことでしょう。雑司《ぞうし》が谷《や》の御墓《おはか》の傍《かたわら》には、和歌《うた》の友垣《ともがき》が植えた、八重《やえ》山茶花《さざんか》の珍らしいほど大輪《たいりん》の美事《みごと》な白い花が秋から冬にかけて咲きます。山茶花はすこし幽《ゆう》にさびしすぎますが、白の大輪で八重なのが、ありしお姿をしのばせるかとも思います。



底本:「新編 近代美人伝(下)」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年12月16日第1刷発行
   1993(平成5)年8月18日第4刷発行
底本の親本:「婦人画報」
   1915(大正4)年10月
初出:「婦人画報」
   1915(大正4)年10月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2007年4月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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