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おゝ、あの舟でゆくのは、田之助ぢやないか。
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といふふうに大川筋は、遊山、氣保養の本花道となり、兩河岸は大名|下邸《しもやしき》の土塀と、いきな住居の手すりと、お茶屋といふ、江戸錦繪、浮世繪氣分横溢となつた。
そんなことをいつてゐたらば限りがないが、それらの脈をひいた新時代的のものをいへば、故小山内薫さんの小説「大川端」が、明治の末から大正のはじめにかかる大川端情緒を、名殘りなく現はしてゐる。
あの小説は、中洲眞砂座に立籠つて、近松研究をしてゐたところの新派劇の伊井蓉峰一座と、濱町のお宅の木場《きば》の旦那、お妾さん、柳橋、芳町の藝者、歌舞伎役者や、幇間たちといふ、舊文明の遺産を中心にして、近代劇文學の尖端人である氏自身が、その中に溺れてゐるのを書いた、新しい時代へかかる古い型の打止めといつてもよいであらう。
この間、哥澤節を日本的ソプラノ・テノールと紹介したが「夕暮」を唄ふときいて、およしなさい、もはや眺め見渡す隅田川の實感は、震災後の若人には來ない。大川ばた全體が燒禿げた待乳《まつち》山同然だと止めた。
大角力も花火も、九ツの鐵
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