喙と足の赤いのが、いう/\と魚をくつて、むつれてゐたのだ。してまた、白い鳥がくつきりと見えるほど、水は澄んで青かつたのだ。
お江戸となつた元祿のころには、江東にばせを[#「ばせを」に傍点]が住んでゐて、大川に、新大橋がかかると、
[#ここから2字下げ]
ありがたやいただいてふむ橋の霜。
[#ここで字下げ終わり]
と吟じ、五十年ばかりたつと、賀茂の眞淵うしの縣居《あがたゐ》は、こつちがしの濱町、大川の浦に新築され、庭を野邊、畑につくり、名ある國學者を招いて十三夜の月をめでてゐる。
その時分の大川端、中洲の三叉《さんまた》は月の名所で、これまた泥川の濁流ではない。
大川端といふ名が、ある種の魅惑をもつてきこえてきたのは、吉原が淺草千束村に移り、その交通路とこの川筋がなつたので、特殊の文化を兩岸に生んで來てからで、辰巳(深川)お旅辨天や松井町(本所)の賑はひと、辰巳文學(といつてよければ)香夢洲《むかふじま》文學と切りはなされない。やがて、日本橋人形町の芝居小屋が淺草猿若町に移轉すると、吉原、觀音樣地内、芝居茶屋、舟宿、柳橋、兩國の盛り場と石濱、山の宿《しゆく》側は流れて來て、
[#
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング