と、殆《ほとん》ど夫妻のように見られていたが、その人にも死別してしまった。いまでは、昔はそういう人であったかと、若いものにおりおり顔を見直させるだけで朽ちてゆこうとしている。
 恋に生きた昔は知らず、得意な女と、失意の女とが、おなじ起伏《おきふ》しのころのように、一人は踊り、一人は地を弾いて相向っている――

 須磨子夫人が昔をふりかえって、以前の友達にむかってもらしたという感想は、
「若かったから辛抱しられたのです。とてもいまじゃあ……」
というのである。でも、知っているものは、そうでしょうともといった。
 若い心には、正直な一生懸命さがある。彼女も昨日までの華やかな世界を捨て、小禽《ことり》のようにおどおどとして舅姑《しゅうと》につかえたのだろう。
 大橋家は、もうその頃では有数の資産家として、書籍出版業としても第一の店となっていたが、父子ともに計って富を一代に築きあげた、立志伝中の一家であった。越後《えちご》の寒村から出て来て、柳原|河岸《がし》に古本の店を出していた時分は、いまだ時節が到来せず、かなりな苦境におち、赤貧のおりもあったが、姑は良き妻、好《よ》き母であって夫にも子に
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