ことだ。
 それはこの、力者《ちからもち》の狐直《きつねのあたひ》の四世の孫にあたる、大力女の、力|※[#「てへん+角」、35−9]《くら》べの話で、しかも、この狐の子孫の方が、一方の、まじりなし人間|種《だね》の力持ち女に負けた話なのである。わたしが子供のころ、イツチヤイツチヤ、イツチヤナ、とか唱へながら角力をした、女力者《をんなちからもち》の見世ものがあつたが、どうして一三八〇年位も前の、この二女力士のすさまじさに競《くら》べやうもない。なにしろ、負けた方のが百人力といふのだから話は大きい。上野動物園のお花さんいどころではない。
 聖武天皇の御代に、三野の國|片縣《かたあがた》の郡、少川の市《まち》に住んでゐた、百人力女が、前の犬に追はれた岐都禰《きつね》の末裔《まつえい》だが、おのが力をたのんで、往還《おうかん》の商人《あきんど》の物品を盜む。そのことをきいて憤慨したのが、尾張の國愛知郡、片輪《かたわ》の里《さと》の一女流力者――ちよつとここではさんでおくのは、前の狐女末裔は大女、この正義の女史は小女です。この小女力者、大女力者を試すのに、蛤《はまぐり》五十斛を捕つて、船に載《の》せてゆき、少川の市《まち》に泊《とま》つた。よし來たとばかりに奪《と》りにいつたのが大女、昔から女でも總身に智惠がまはらなかつたと見えて、小女女史が豫備に熊の葛練《くずねり》の鞭を二十段も隱し持つのを知らなかつた。
 狐氏の大女は蛤を盜つて賣らしてしまつてから、何處から來たといつた。蛤主不答。四度目にはじめて答へたが、來しかたを不知《しらず》とやつたので、狐氏の大女が、不禮者とばかり蛤小女を打つた。一つぶたせて二の手を待つて、待つてゐましたとばかりその手を捉へ、熊葛鞭《くまくずむち》でピシリとやつた。鞭に肉が附いてきたといふその勢ひで、もひとつ、もひとつ、もひとつ、十段の鞭、打つに隨つてみな肉着くといふのだから、狐氏の大女も音《ね》をあげて服也《ふくすなり》、犯也《おかせしなり》、惶也《をそるるなり》、とあやまつてしまつた。蛤小女その時昂然として、自今|此市《このまち》に強て住まば、終に打殺さん也と威《おど》したところ、狐氏大女も殺されては堪らぬと逃げたので、彼|市《まち》の人總て皆悦んだといふ。
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 こんな話を、よく覺えてゐたと思ひながら、何から思出したかと思ふ
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